なぜ私は「週3日だけ働く」という選択に行き着いたのか

働き方は、本来もっと自由であっていいはずです。
しかし日本の社会では、長時間労働や自己犠牲が「美徳」とされてきました。
その結果、
「働き方を選ぶ」
という発想そのものが奪われている。
これが、私が長年、身を置いてきた現実でした。
会社のために働くことが当たり前で、努力すれば報われると信じ、無理をしても「気合い」で押し切る。
そんな価値観の中で働き続け、心身が限界に近づいていることに気づけませんでした。
そしてある日、突然その「当たり前」は崩れました。
会社員時代の過労とメンタル不調
私の場合、心が折れたきっかけは明確でした。
出張と長時間労働の連続。
眠れず、集中できず、感情が不安定になり、ついにはうつ病・適応障害・パニック障害へと進行。
診察室で医師から
「これ以上は危険です。」
と言われた時、私は初めて人生を客観視しました。
・なぜ私はここまで自分を追い込んでしまったのか?
・なぜ働くことが生活のすべてになってしまっていたのか?
・私が働けなくなったらこの先どうなるのか?
その答は残酷なものでした。
「私は人生のすべてを会社に預けてしまっていた」
収入も、評価も、時間も、キャリアも…
すべてが会社の都合で決まってしまう構造…。
そんな仕組みの中にいれば、心が壊れるのは当然なのだと、後になって理解しました。
SNS時代の「言語力の劣化」と向き合って
2020年代に入り、SNS中心の社会へ移りました。
・長文は読まれない
・スタンプだけの会話
・感情の一瞬だけが切り取られる
・思考は断片化し、記録に残らない
私自身、SNSを使いながら、いつしか
「このままでは何も残らない」
という不安を抱えるようになりました。
SNSは便利ですが、その即時性の裏側で、
「言語化する力が大きく失われている」
と感じました。
私自身、SNSを使えば使うほど
「このままでは何も残らない」
という不安が膨らんでいきました。
人生は長く深いのに、SNSはその深さを受け止めてくれる器ではありません。
・人生の転機
・仕事の痛み
・心の回復
・働き方の再構築
こうしたものは一行ではかけません。
一瞬で流れる投稿では記録になりません。
このため、私は
「積み上がっていく文章としてのブログ」
に戻りました。
ブログはオワコンではなく、人生の軌跡を残せる資産だと気づいたのです。
人生を「文章」という資産で守る
過労とメンタル不調で働けなくなった経験、SNS中心の社会で流されていく言葉たち。
この2つが重なった時、私は明確な結論にたどりつきました。
「自分の人生は、自分で設計しなければ壊れる」
その設計図を文章として残すことこそ「人生の保険」になると確信したのです。
文章にしておけば、
・迷った時に立ち返る「地図」になる
・同じ境遇の人の道標になる
・自分の経験を体系化できる
・働き方の哲学として後世に残すことができる
私が週3日という働き方に辿り着いた背景には「勤務日数を減らす」という表面的な理由ではなく、
「人生を守るための構造改革が必要だった」
という深い問題がありました。
週3日ワークは、その構造改革の入り口に過ぎません。
まとめ:週3日ワークは「逃げ」ではなく、未来への戦略
過労で心が折れた経験。
SNS時代の言葉の断片化。
人生を文章として残したいという思い。
これらすべてが私を「週3日だけ働く」という生き方へと導きました。
週3日ワークは怠けでも贅沢でもありません。
自分の人生を守り、心身と働き方を長期視点で再設計するための
「戦略的なライフデザイン」
だったのです。
週3日の働き方まとめ記事はこちら:
















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