もし就職氷河期がなければ、日本は本当に救われて幸せになっていたのか

「就職氷河期がなければ、日本はもっと良い国になっていた」
本当にそう言い切れるのでしょうか。
就職氷河期は、日本社会にとって明確な「失敗」として語られることが多いです。
実際、私も就職氷河期世代の不公平感をいくつか記事にしています。
実際、一つの世代に就職リスクが集中し、その後の人生設計や少子化、消費停滞にまで影響を与えたのは事実です。
では、もし就職氷河期が存在しなかったとしたら、日本は今よりも幸せな国になっていたのでしょうか?
今回は、その問いに対し「良し悪し」ではなく、負荷の行き先という視点から、仮想の思考実験をしてみました。
「もしも」の前提:就職氷河期が存在しない日本
ここで想定するのは、1990年代後半から2000年代初頭にかけて、
・新卒一括採用が維持され
・正社員雇用が大きく崩れず
・世代単位の大量失業が起きなかった日本
を仮定します。
この世界では、多くの人が
「普通に働き、普通に結婚し、普通に子どもを持つ人生」
を歩むことができます。
少なくとも、人生のスタート地点で極端にふるい落とされる人は減っていたでしょう。
一見すると、これは「理想」のように見えます。
見えやすいメリット:救われるもの
人口・家族
・少子化の進行は今より緩やか
・人口は大きく減少しない
・非正規雇用に起因する未婚率上昇も抑制
経済
・消費は底割れせず、内需は安定
・年金・社会保障の問題は「将来不安」ではなく「調整課題」程度に留まる
地方
・地方から若者は大きく減らない
・中核都市は一定の活力を維持
ここまでを見ると
「やはり氷河期がなければ良かった」
という結論に傾きがちですよね。
ただ、問題はここからです。
しわ寄せはどこへ行くのか
社会から大きな不幸が一つ消えたとき、代償がゼロになることはほとんどありません。
競争と同調圧力
・人口が減らないため、競争人口は多い
・組織は維持され、序列も固定されやすい
・「外れる自由」は今より小さい
結果として、
「地獄ではないけど、逃げ場も少ない社会」
が成立していたのではないかと思われます。
就職氷河期がなかった日本は、未来志向の社会というより、
「昭和的な安定と緊張が細長く続く社会」
がきていたのかもしれません。
日常の風景(もしも)
満員電車
・出社前提が続き、通勤・通学ラッシュは今よりも深刻
コロナ禍
・経済的ダメージは抑えられる
・その一方で、同調圧力や社会的摩擦は激化
ブラック企業
・会社の「辞めにくさ」は今よりも強い
教育の「もしも」:安定と固定化
就職氷河期がなければ、人口が減らない以上、競争そのものは激しく続くと思われます。
大学受験に関しては、浪人や回り道も、ある程度は許容される感じになっていたでしょう。
・上位校・医歯薬・官僚ルートは固定化
・家庭環境による教育格差は温存
結果として、
「学歴で人生は決まりにくいが、家系で決まりやすい社会」
に近づいていたのではないかと予想します。
ITの「もしも」:革新は遅く、分断は小さい
氷河期がなければ、ITは「最後の逆転装置」にはなりにくかったのではないでしょうか。
・スタートアップの爆発は起きにくい
・DXはゆるく進む感じ
一方で、
・SNSによる極端な分断は起きにくい
・炎上は限定的
IT依存度も現在ほど高くなく、ITは社会を壊すような存在ではなく、既存制度を補強する道具に留まるのではないかと。
付け加えるなら、就職氷河期がなければ、現在のような「コンサルブーム」や流動的な転職市場も生まれにくく、官僚や大手企業を頂点とする固定的なキャリアが主流だった可能性が高いでしょう。
現在、コンサルタントである私自身の仕事の風景も、今よりずっと狭かったはずです。
心理面の「もしも」:心療内科は増えるのか
失業や貧困が減る一方で、
・逃げ場のなさ
・同調圧力
・序列社会の固定
による心理的負荷は蓄積すると思われます。
心療内科は「急増」ではないが、慢性的に混み合っているような存在になっていたのではないでしょうか。
まとめ:現代への示唆
就職氷河期がなかった日本は、多くの人を救ったはずです。
ただ、そのしわ寄せは、必ず別の場所に現れてきます。
競争、同調圧力、階層固定、息苦しさ…
・昭和的な安定と緊張が細長く続く社会
・地獄ではないけど、逃げ場も自由度も少ない社会
「古き良き昭和」とは言いながらも、昭和の問題点を細長く引きずったような社会になっていたんでしょうね。
令和の時代とは、また形を変えた歪みです。
重要なのは、
・氷河期をなかったことにする議論ではなく
・同じ歪みを、再び特定世代に集中させないこと
「もしも」
の議論は、過去を悔やむためではありません。
私たちは、どの歪みを引き受ける社会を選ぶのでしょうか。
皮肉なことに、私のコンサル仕事が広がった背景にも、氷河期以降の歪みが横たわっているのかもしれません。
それを考えるため、いつもとは別の視点から、思考実験的な記事を書いてみました。
仮定の話ですので、さまざまな意見があると思います。
私たちは「不公平のない社会」だけを目指すのか、それとも「息苦しさの少ない社会」を優先するのか。
その選択は、実は同時には叶わないかもしれません。
あなたの考える「もしも」は、どのようなものでしょうか?
















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