バブル崩壊からアベノミクスまで:平成30年の日本経済を5つのキーワードで読む

2019年の改元をきっかけに、平成は30年の幕を閉じました。
今回は、令和となった今だからこそ振り返りたい「平成の経済」をまとめてみたいと思います。
平成から令和へ…激動の30年をどう捉えるか
そこで、今回は、「平成」の経済について、振り返っていきたいと思います。
平成経済を象徴する5つのキーワード
平成の経済は、大きく分けて、次の5つのキーワードで説明できると、私は考えています。
①バブル崩壊
②不良債権処理
③デフレ経済
④リーマンショック
⑤アベノミクス
それでは、ひとつひとつを見ていきましょう。
バブル崩壊…「失われた30年」の幕開け
1985年のプラザ合意による円高不況対策で、政府・日本銀行は、財政出動や金融緩和を進めていました。
その結果、1980年代後半から、1990年代前半にかけて、不動産や株価が急上昇する状況が続きました。
当時は、日経平均株価も4万円近くまで高騰していました。
いわゆるバブル経済です。
企業や個人の間では「財テク」と呼ばれる投資ブームが盛んになりました。
各地でリゾート開発が相次ぎ、金融機関も値上がりを前提に、どんどん融資をすることになりました。
不動産を持っているだけで、儲かる時代だったのです。
そこで、景気の過熱を抑制しようと大蔵省(現在の財務省)が、不動産向け融資の総量規制を通達しました。
すると、地価は急落・暴落しました。
その後、日銀の金融引き締め政策の影響もあり、バブルは完全に崩壊したのです。
不良債権処理…金融システム危機との戦い
バブル崩壊により、ほとんどの企業の業績は悪化していきました。
金融機関が融資の担保としていた不動産の価格が急落したことで、企業の返済の遅延や焦げ付きが急増したのです。
これがいわゆる不良債権問題です。
1992年から2007年の15年間に銀行が処理した不良債権は総額約100兆円を超えているそうです。
2002年に、小泉首相が2005年3月末までに不良債権を半減させるという目標を打ち出しました。
その大方針に従って、銀行も不良債権処理を本格化させていきました。
しかし、その不良債権処理を進める過程において、銀行が中小企業などへの融資を抑制する「貸し渋り」や、融資の返済を迫る「貸しはがし」も大きな問題となりました。
デフレ経済…日本が長く抜け出せなかった罠
日本は、バブル崩壊後の景気の悪化で、物価が低下し、1999年以降は消費者物価指数が前年を下回るようになりました。
政府は2001年に「日本経済は緩やかなデフレにある」と正式に認定。
いわゆる、日本はデフレ経済に突入することになりました。
2008年のリーマン・ショック後の急激な景気の落ち込みもあり、デフレから抜け出せない状況が続きました。
デフレがデフレを呼ぶ、いわゆるデフレ・スパイラルという現象です。
リーマンショック…世界金融危機と日本への影響
2008年に、米証券会社大手のリーマン・ブラザーズが経営破綻しました。
これをきっかけに、世界中に金融危機が広がっていきました。
これがリーマン・ショックと言われています。
リーマン・ブラザーズの破綻は、米国の住宅バブルの崩壊で、低所得者向け高金利ローン(サブプライムローン)が焦げ付き、関連する債権を含めた巨額の不良債権を抱えたことが原因だと言われています。
米欧の金融機関に軒並み信用不安が広がり、各国で株価が暴落するなど、歴史的な世界同時株安を引き起こしました。
私も、この時期にFXで100万円を損失しました。
日本でも輸出が急減するなど、大幅なマイナス成長を記録しました。
政府は大型の景気刺激策を発動するなどして、なんとか下支えしようと必死な状況でした。
アベノミクス…デフレ脱却への大規模な試み
2012年末に発足した第2次安倍内閣。
安倍政権では、長引くデフレからの脱却を掲げ、
・大胆な金融政策
・機動的な財政政策
・成長戦略
を3つの柱とする経済政策「アベノミクス」を打ち出しました。
日銀が2013年に異次元緩和と呼ばれる大規模な金融緩和政策を導入するなど、円安を進めました。
これにより、企業の業績も回復するなど、一定の効果が見られるようになりました。
まとめ…平成が残した教訓と、これからの日本経済
以上、5つのキーワードで平成の時代を振り返ってきました。
令和の日本は、物価高・為替変動・金利上昇など、平成とは異なる課題に直面しています。
平成の30年を理解することは、これからの日本経済を考えるうえで欠かせない視点になるはずです。














