大阪・千里に存在した「幻の巨大遊園地」…その名は千里山遊園地!歴史と跡地を辿る

消えていく遊園地たち…大阪でも進む「レジャーの縮小」
大阪では、近年、結婚式場や野球場と同様に遊園地も減少しています。
それに加えて、周辺地域も含め、遊園地も減ってきていると思いませんか?
・奈良ドリームランド
・宝塚ファミリーランド
・狭山遊園地
・みさき公園(2020年閉園)
少子高齢化の時代背景もあり、子ども向けレジャー施設が次々と姿を消しているのが現状です。
今回はこの流れの一例として
「実は千里にも遊園地があった」
という少し意外な歴史を紹介します。
千里にもかつて遊園地があった?
大阪北部・吹田市の千里エリアに、過去、なんと本格的な遊園地が存在していました。
その名は…千里山遊園地です。
開園は1920年ごろ…大阪唯一の遊園地だった時期も
・開園:1920年頃
・場所:大阪府吹田市
・敷地面積:約46000平方メートル
・香里遊園地(現・ひらかたパーク)が誕生するまでは、大阪で唯一の遊園地
充実したアトラクション
当時の園内には、こんな施設があったと言われています。
・ボートを浮かべた大きな池
・動物舎
・飛行塔(大阪市内まで見渡せる人気アトラクション)
特に、この飛行塔は非常に評判が良く、遠方から見物客が訪れるほどの名物だったようです。
閉園までの経緯…戦時中の転用と戦後の再開
戦時中は「千里山厚生園」に改名し遊園地は閉鎖
戦時色が強まる中で「千里山厚生園」という名称に変わり、遊園地としての営業はいったん終了します。
戦後に再び「千里山遊園地」へ
戦後は再び遊園地として再開したのです。
一時期は、ひらかた遊園に代わって菊人形展を開催するなど、地域のレジャーとして一定の存在感を保ちました。
しかし、その後ひらかた遊園が復興すると人気が分散し、1950年、ついに閉園となりました。
千里山遊園地の跡地はどうなった?
跡地は関西大学キャンパスに
現在、千里山遊園地の跡地は、関西大学と関西大学第一中学校・高等学校となっています。
閉園後は、関西大学が跡地を買い受けたのです。
駅名変更日本一・関大前駅と遊園地の関係
この地域には、もうひとつのトリビアがあります。
関大前駅は「駅名変更回数が日本一」の駅となっているのです。
その変遷の中には、千里山遊園地に由来する名前も含まれているのです。
減りゆく「地元の遊園地」が教えてくれるもの
かつて関西には、大小さまざまな遊園地が存在していました。
・奈良ドリームランド
・宝塚ファミリーランド
・狭山遊園地
・デパート屋上遊園地
そして、千里山遊園地もそのひとつでした。
USJのような巨大テーマパークは発展を続けていますが、
身近で気軽に行ける「地元の遊園地」は少しずつ姿を消しつつあります。
長年、大阪に住む人にとっては、どこか寂しさも感じられる…そんな歴史の一ページです。
















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