昔、北千里駅と南千里駅の間に存在していた万国博西口駅とは?

阪急千里線の北の終点である北千里駅と千里ニュータウンの中心にある南千里駅。
この2つの駅の間にある駅は何でしょう?
答は簡単ですよね。
「山田駅」になります。
しかし、今から50年近く前、大阪万博が開催されていた時代…
そこには、山田駅ではなく、全く別の駅が存在していたのです。
大阪万博のためだけに作られた幻の駅「万国博西口駅」
北千里駅と南千里駅の間に設置されていた幻の駅の名前は
「万国博西口駅」
といいます。
大阪万博が開催されていた頃は、現在の山田駅はなく、この万国博西口駅が設置されていました。
わずか10ヶ月で900万人が利用
この駅は、設置されていた期間わずか10ヶ月で、約900万人が利用するという人気の駅でした。
しかし、万博が終わると同時に、すぐに取り壊されてしまいました。
完全に、大阪万博用の臨時駅の位置付けだったのでしょう。
その3年後に現在の山田駅が誕生
そして、その3年後、取り壊された万国博西口駅の少し南側に、現在の山田駅ができたのです。
万博西口駅はどこにあった?(場所の推定と現在の様子)
では、万国博西口駅はどのあたりに位置していたのでしょうか?
現在の地名でいうと
山田駅の少し北側、ガスタンクを過ぎたあたりに、万博温泉おゆば(万博西口に接続)があります。
当時は、万国博西口駅から、この万博温泉おゆばのあった場所まで、大きな歩道橋がかかっていました。
道路上でいえば、北消防署の少し南側、万博公園西という交差点の近く、電車がカーブしている土手のあたりに、万国博西口駅はあったようです。
現在は跡形なし
しかし、悲しいことに、現在は、跡らしきものは何一つ残されていません。
私も、万博温泉おゆばをよく利用するので、このあたりはよく車で通るのですが、駅があった場所だとは全く感じられません。
万博西口駅が消えた理由と山田駅の存在感
万国博西口駅の後を継いだ阪急山田駅。
現在は、大阪モノレールとの接続駅としても、活躍しています。
乗降客数も、万国博西口駅にはかないませんが、阪急千里線の中では、多いほうです。
大阪万博が終わった跡も、万博公園は引き続き、活躍しています。
大阪モノレールに万博記念公園駅がありますが、万博西口を利用したい人も多いと思います。
万国博西口駅は、すぐに取り壊さなくてもよかったのでは…
という意見もちらほら聞きます。
しかし今思えば…
たとえ取り壊されたとしても、北千里駅と南千里駅の間には、2つくらい駅があったほうが、高齢化している千里ニュータウンの人のためにはなるような気もしました。
もちろん、50年後の千里ニュータウンの高齢化など、当時は、誰も考えていなかったのでしょうが。
いずれにしても、駅というのは、将来の利用者も視野に入れて設計する必要があります。
駅を作ったことが、成功か失敗かは、何十年も立ってみないと分からない側面もあります。
そして現在の阪急山田駅へ
万国博西口駅の後継とも言える阪急山田駅は、
・大阪モノレールとの接続
・阪急千里線の主要駅
・商業エリアとして発展
・万博公園へのアクセス駅としても機能
と、地域の中核駅として活躍しています。
万博の跡地が今も生きている
大阪モノレールの万博記念公園駅は今も多くの人が利用しており、当時の熱気を今に伝える存在です。
万国博西口駅がそのまま残っていれば…
そんな 「もしも」を感じずにはいられません。
駅は「未来の利用者」を想定して作るもの
鉄道駅というのは、
・その時代の需要
・数十年後の街の姿
・将来の人口
・効率的な移動
・老朽化と再開発
こういった複数の要素を考慮して設計されます。
50年経って、
・少子高齢化
・再開発
・大阪・関西万博(2025)の開催
・モノレール延伸
・北大阪急行延伸
など、大きく変化した今だからこそ、
「駅の存在意義は長い時間をかけてわかる」
と実感します。
阪急山田駅には、これからも千里地域の中心駅として、長く愛されてほしいと思います。
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