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箕面市に存在した「巨大動物園」の真実:わずか5年半で消えた理由とは?

2019年3月15日大阪北部

大阪府の中でも、特に高級で閑静な住宅街のイメージの強い箕面市。

しかし、今から100年ほど前、箕面市には、当時、日本最大級の動物園があったことをご存知でしょうか?

そして、その巨大な動物園は、一体どこに消えてしまったのでしょうか?

阪急電鉄の歴史と共に振り返っていきましょう。

阪急電鉄と箕面開発の歴史

小林一三が描いた「沿線に人を呼ぶ」都市戦略

1907年(明治40年)、小林一三は、箕面有馬電気軌道株式会社(今の阪急電鉄)を設立しました。

当時は、戦争で不況だった上、箕面市や池田市は、まだまだ未開発だったため、そこに電車を走らせることはとても難しいと言われていました。

住宅・百貨店・劇場…そして“箕面動物園”という異色の施策

そこで、小林一三は、電車を走らせる沿線に人を集めるため、次のような施策を考えました。

①箕面や池田の住宅開発
②阪急百貨店の設立
③宝塚大劇場の設立
④宝塚ファミリーランドの設立
⑤箕面動物園の開園

ん?

①から④までは、おおよそのイメージがつくと思います。

しかし、⑤の箕面動物園だけピンときません。

そもそも、箕面市に、動物園なんてありません。

池田市にある五月山動物園?

いや、ちがうようです。

箕面動物園とはどんな施設だったのか?

甲子園の2.5倍、日本最大級のスケール感

箕面動物園は、1910年(明治43年)に、開園しました。

面積は約10万平方メートルで、甲子園球場の約2.5倍もあったそうです。

箕面動物園は、国内最大規模の動物園ということで全国的に宣伝されました。

自然共生型の展示手法と多くの観光客

箕面動物園は、岩穴でクマを飼育するなど、野生の生態を取り入れたり、園内にたくさんの樹木を植えることで、自然を楽しみ、劇や歌を楽しむ舞台をもうけたりする動物園として、多くの観光客が訪れました。

たった5年半で閉園した理由

しかし…

地震で猛獣が逃げ出すリスクという深刻な問題

「大きな地震が起こったときに、猛獣のトラやヒョウなどの動物が逃げ出したら危険なことになる」

ということが大きな問題となりました。

実際に、動物園を開園してからも、何度か小さな地震が発生し、建物に小さなひびが入ることがあったようです。

この点について、小林一三は不安でたまらなかったようです。

熱帯動物の飼育コストと箕面の「自然観光地」との競合

また、鳥や動物たちの多くが、熱帯出身だったため、飼育に手間とお金がかかってしまうことも問題となっていました。

さらに、箕面の地には美しい滝があります。

「春は桜、秋は紅葉の名所として自然の美しさで十分だ!」

という意見も多かったようです。

そこで、箕面動物園は、わずか5年半で閉園となってしまいました。

閉園後、動物たちはどこへ?

ゾウやトラは天王寺動物園へ移送された

閉園に伴い、ゾウやトラなどの大型の動物は、当時開園したばかりの天王寺動物園に引き取られたようです。

箕面動物園の跡地は今どうなっている?

跡地は箕面観光ホテル・スパーガーデンへと変貌

では、箕面動物園があった場所は、今、どうなっているのでしょうか?

現在、箕面動物園の跡地には、箕面観光ホテルや箕面温泉スパーガーデン・大江戸温泉物語が建てられています。

エレベーター横に残る「クマの飼育穴」だけが遺構として現存

箕面温泉スパーガーデンのエレベーター乗り場近くに、煉瓦造りのほら穴を見つけることができます。

このほら穴は、クマが飼育されていた場所だと言われており、箕面動物園の貴重な遺構になります。

遺構から見える「阪急と箕面開発」の歴史

箕面スパーガーデンでは、動物園のイメージは全くありません。

しかし、このように遺構を確認することができると、箕面や阪急の歴史を感じることができて、興味深いですよね。

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Posted by かずきび47