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南海本線・孝子駅近くに残る「謎のホーム跡」…その正体は廃駅・深日駅だった

2019年7月4日大阪南部

大阪最南端の駅・孝子駅の近くに残る「謎のホーム跡」

以前の記事で、大阪府の最南端の駅はどこなのか、調べました。

ネタバラシすると、大阪府で最南端にある駅は、南海本線の「孝子駅」になります。

みさき公園駅〜孝子駅間で見える不思議な構造

この「孝子駅」と、ひとつ北側の駅となる「みさき公園駅」の間の線路には、何かホームの跡のようなものが存在しています。

もしかすると、ここに駅でも存在していたのでしょうか?

深日変電所の横に残るホーム跡の存在感

みさき公園駅から孝子駅方面に向かって、電車に乗ると、進行方向右手に、南海電車の深日変電所を見つけることができます。

小さな変電所ですので、見逃すかもしれません。

とても田舎なので、変電所の横から、歩いて南海本線の線路に立ち入ることもできます。

くれぐれも危険な行為はしないように注意してください。

さて、この変電所のすぐ近くに、謎のホーム跡は存在します。

石段つくりで、ホームの端には、小さな階段跡も確認することができます。

線路の幅も少し広くなっており、変電所の敷地が駅前広場のようにも感じられます。

謎のホーム跡の正体は「深日駅」だった

遠い昔、たしかに、ここには駅があったのでしょう。

その駅名とは…

「深日(ふけ)駅」

になります。

南海多奈川線「深日町駅」とは別物の駅

近くを走っている南海多奈川線の「深日町(ふけちょう)駅」とは、全く別の駅となります。

深日駅の誕生──1898年開業の歴史ある駅

深日駅は、1898年(明治31年)に、南海本線が開業したときに、深日村の山の中に設置されました。

深日村・多奈川地区・孝子地区を支えた相対式2面2線ホーム

ホーム跡からも想像できるように、当初から相対式のホームで2面2線の構造でした。

南海本線の初期路線としての役割

設置当初、深日駅は、深日村をはじめ、多奈川地区、孝子地区からの利用がありました。

相次ぐ周辺駅の開業で利用者が激減

孝子駅・南淡輪駅(みさき公園駅)の登場

しかし、

・1915年(大正4年)に孝子駅
・1938年(昭和13年)に南淡輪駅(現在のみさき公園駅)

が誕生しました。

多奈川線開業が追い討ちとなり深日駅は廃駅へ

さらに

・1944年(昭和19年)に多奈川線(深日町駅、多奈川駅)

が、相次いで開業したことで、深日駅の利用客は激減することになりました。

そこで、1958年(昭和33年)、深日駅はその役目を終え、廃駅となってしまうのです。

1958年に廃駅となった深日駅の現在

60年以上経った今も残るきれいなホーム跡

深日駅が姿を消してから、60年近くが経過したことになりますが、現在もホーム跡はきちんと残されています。

変電所だけが生き残り、駅の痕跡を語り続ける

深日駅はなくなっても、隣接されていた深日変電所は、今も稼働しているようです。

もし深日駅が今も残っていたら…歴史が語りかけるもの

昔、私は、仕事で和歌山に行くことがあり、車通勤をしていました。

国道26号線を和歌山方面に運転しているとき、いつも、深日変電所を左手に眺めていました。

「このあたりに、深日駅があったんだな。」

全く利用したことのない駅なのに、一度だけ見たことのある深日駅のホーム跡が浮かんでくるのです。

まるで、何かを語りかけてくるように。

みさき公園・多奈川線に奪われた「悔しさ」の記憶

隣駅のみさき公園や多奈川線にお客さんを奪われた悔しさが、深日駅には、今もなお、残っているのでしょうか…。

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Posted by かずきび47