堺東の高島屋、61年の歴史に幕…駅前百貨店の役割が終わるとき

堺東の高島屋が、2026年1月7日をもって閉店しました。
1964年の開店から61年。
南海高野線・堺東駅前に構え、この街の象徴のひとつとして存在してきた百貨店が、静かにその歴史に幕を下ろすことになったのです。
堺東の高島屋の閉店という知らせを耳にした時、私も足を運ばずにはいられませんでした。
閉店の2日前、私は堺東の高島屋に足を運びました。
店内には多くの人が訪れており、一定の賑わいはありました。
ただしそれは、かつての日常的な買い物風景とは少し異なった印象でした。
「最後だから」「一度見ておこう」
そんな動機を共有する人たちが集まった、どこか特別で、少しだけ切ない空気が漂っていたように思います。
かつての堺東は「南大阪の中心」だった
堺東駅周辺は、かつて南大阪有数の繁華街でした。
高島屋には屋上遊園地もあり、ジョルノ(ジョル8)、長崎屋、ニチイ…
などの大型商業施設、銀座商店街が集まり、賑わいを見せていました。
私自身、35年ほど前、学生時代をこの堺東の街で過ごしました。
当時の活気は今もなお、心の中に刻まれています。
買い物、外食、待ち合わせ…
駅前に来れば一通りの用事が済む。
そんな「街の中心」が、確かにこの場所には存在していました。
駅前百貨店が担っていた役割
当時の都市構造では、鉄道駅前と百貨店の組み合わせが消費の核となっていました。
郊外型ショッピングモールもネット通販もない時代、「駅前に行くこと」自体が一つの娯楽であり、非日常だったのです。
駅前百貨店モデルの限界
しかし、この駅前モデルは、時代と共に、全国的に揺らいでいきます。
・車社会の進行
・郊外への人口分散
・イオンモールに代表される大型ショッピングセンターの台頭
・EC(ネット通販)の普及
百貨店は「何でも揃う場所」ではなくなり、日常消費の主役から徐々に外れていきました。
高島屋が衰退したのではない
私は、高島屋という企業やブランドが衰退したというよりも、
駅前百貨店(&屋上遊園地)という業態そのものが、時代の変化に適応しきれなくなった
という側面が大きいのではないかと思っています。
特に、地方都市・準地方都市では、売り上げの減少と固定費の重さが経営を圧迫し、撤退という判断が現実的な選択肢になっていきます。
堺東もまた、その流れの中にあったのでしょう。
街の衰退と、象徴としての撤退
駅前の人通りは減り、かつての賑わいを知る世代ほど、その変化をはっきりと感じていると思います。
堺東の高島屋の閉店は、街の衰退の「原因」ではありません。
むしろ、長年積み重なってきた変化の「結果」であり、堺東という街が直面してきた現実を象徴する出来事とも言えるでしょう。
百貨店は「記憶の装置」だった
百貨店は、単なる商業施設ではありません。
そこには街の記憶が蓄積され、世代を超えて共有される体験があります。
だからこそ、単純に売り場がなくなる以上の喪失感が残るのだと思います。
個人的な記憶と重なる場所として
冒頭で少し触れましたが、この高島屋は、35年ほど前、私が高校時代を過ごした街の一角にあたります。
ラーメン屋や飲食店などもあり、学生時代の友人たちと有意義な時間を過ごしました。
今は聞き慣れない、三和銀行や住友貸付信託銀行などもありました。
高島屋の地下街には、旭屋書店があり、そこでは、多くの本を購入させていただきました。
現在の堺東の高島屋の一角にも、丸善書店がありますが、こちらも高島屋の閉店と同時に姿を消すことになります。
つまり、堺東から大型書店が消えてしまうことになるのです。
そして、堺東といえば、やはりジョルノ(ジョル8)です。
堺東駅と直結している高島屋。
合理性だけで見れば、撤退はやむを得ない判断なのでしょう。
それでも、長年当たり前のように存在していた風景が消えると知ったとき、理屈とは別の感情を抱かずにはいられませんでした。
堺東高島屋の閉店が意味するもの
堺東高島屋の閉店は、一つの百貨店の終わりであると同時に、
ある時代の都市のあり方が、静かに幕を下ろす瞬間
なのかもしれません。
その瞬間に、ぎりぎり立ち会えたことに、私は何とも言えない感慨深さを覚えました。
堺東の高島屋の関係者の皆様へ。
61年間、お疲れ様でした。
そして、本当にありがとうございました。





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