堺東の象徴「ジョルノビル」の記憶…消えた青春スポットと跡地の今

大阪府堺市の代表的な駅といえば、南海高野線の堺東駅になります。
なんば駅まで約15分。
市役所や高島屋をはじめ、銀行、飲食店、商店街が立ち並ぶ、まさに大阪の中核都市のひとつでした。
堺東駅と「ジョルノビル」という象徴
かつて、そんな堺東駅の少し南側に「ジョルノビル」と呼ばれる8階建ての巨大なビルがありました。
現在の市役所のビルと並んで、ジョルノビルは堺東駅の象徴でもありました。
私も学生時代、このジョルノビルにはとてもお世話になり、学生たちで賑わっていました。
ジョルノビルとは? 学生であふれた専門店街の記憶
1981年開業、駅直結の巨大専門店街
ジョルノビルは、1981年に「ジョルノ専門店街」として、開業しました。
南海高野線堺東駅と高架横断橋で結ばれており、堺東駅の象徴となっていました。
1990年頃、私は堺東駅の近くの高校に通学していました。
このため、このジョルノ専門店街をよく利用していました。
解体される直前のジョルノビルを知る人からは考えられないほど、当時のジョルノ専門店街は賑わいを見せていました。
夕方になると、ジョルノ専門店街は、学生で溢れかえっていました。
学生たちで賑わった「ジョル8(ハチ)」と100円フードコート
特に
「ジョル8(ハチ)」
と呼ばれた8階のフードコートは、当時のダイエーが主導しており、すべて100円で、ラーメンやカレーを食べることができたので、お金のない学生達には大人気でした。
バブル時代とはいえ、100円均一ショップの先駆けと言えたのかもしれません。
8階には、文房具や書店もあったので、学生には好都合でした。
写真がなくても鮮明に残る「平成初期の堺東」の風景
当時は今のように携帯電話もなかったので、思い出としての写真がありません。
ただ、私の記憶の中では、あの人混みで賑わっていた華やかなジョル8のイメージが深く刻み込まれているのです。
賑わいから衰退へ…ジョルノビルの変化
そんな賑わいを見せていたジョルノ専門店街にも転機が訪れました。
ダイエー撤退とジョル8の消滅
2001年、ジョルノ専門店街の中核テナントとなっていたダイエーが撤退することになったのです。
と、同時に、私の知っているジョル8も姿を消しました。
テナントの入れ替わりと空洞化
2002年以降、衣料品店舗や書店、玩具店、ハローワークなど、さまざまな店舗がテナントとして奮闘していました。
しかし、バブル崩壊とともに、売上は落ち、閉店が相次ぎました。
老朽化と「廃墟ビル」化していく2000年代
このため、ジョルノビルの解体直前には、ほとんどのお店でシャッターが閉まっていました。
建物の老朽化も進んでいたため、まさに「廃墟ビル」と化していました。
2000年代のジョルノビルを知る人は、1990年頃のあの賑わいは想像もつかないのではないかと思います。
再開発の現在──跡地は複合施設へ生まれ変わった
ジョルノビルの跡地には、すでに再開発ビルが完成しています。
1〜2階は商業フロア、上層階は分譲マンションという複合型施設となり、長年の空白がようやく埋まりました。
市役所・商店街・堺東駅がすべて徒歩圏にあるため、街の利便性は大きく向上しました。
かつてのジョルノのように、人が集まる拠点として再びにぎわいが生まれつつあります。
市役所や商店街、堺東駅も近く、なんば駅までも一本でアクセスできることから、結構便利な場所でもあります。
入居者が増え、商業施設には、また昔のような輝きを取り戻してほしいと願っています。
















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