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狭山池より古い?古事記に記された「日本最古のため池」依網池の謎

2019年7月14日大阪その他

日本最古のため池が、大阪狭山市にある

「狭山池」

であることは、結構知られているのではないかと思います。

以前は、池の周りに遊園地もありましたよね。

私もよく行きました。

日本最古とされる「狭山池」より古い池が大阪に?

古代文献にのみ残る「謎のため池」の存在

しかし、遥か昔、古事記や日本書記の書かれた時代、その狭山池よりも古いため池が大阪に存在していたことは、ほとんど知られていません。

今回は、この日本最古のため池の正体に迫ります。

依網池(よさみいけ)とはどんな池だったのか?

古事記・日本書紀に記録された灌漑用ため池

依網池(よさみいけ)

これが、古事記と日本書紀に記述されている日本最古のため池です。

残念ながら、現在、その姿を拝むことはできません。
(このため、依網池は、「記述のある日本最古のため池」だと言われています。)

3世紀・崇神天皇時代の築造とその役割

依網池は、3世紀頃、崇神天皇の時代に、灌漑目的で大阪のある場所に作られました。

写真もないので、実際にその時代に依網池が存在していたという証拠はありません。

しかし、日本書紀の記述を正だとすると、依網池こそが、日本最古のため池であると言ってもよいのではないかと思います。

狭山池より広く、水深の浅い巨大ため池だった

依網池は、現在の狭山池よりもずっと広いものでしたが、水深はかなり浅かったと言われています。

水不足に悩んでいた付近の農家にとっては、依網池は、なくてはならない重要な水源でした。

依網池が姿を消した理由

大和川付け替えで水源を失い縮小へ

しかし、江戸時代(1704年)、大和川ができたことにより、依網池に水が流れてこなくなりました。

これにより、依網池は少しずつ縮小していき、最終的に、姿を消すことになってしまうのです。

依網池の跡地はどこにある?

姿を消した依網池。

では、一体どこに存在していたのでしょうか?

そして、依網池の跡地は、現在、どうなっているのでしょうか?

大和川に水を奪われたことから、依網池が大和川の近くに存在していたことは容易に推測できます。

探してみました。

あびこ筋と大和川交差点の東側エリアが有力

地下鉄御堂筋線の陸上を走るあびこ筋。

このあびこ筋と大和川が交差する場所から、東に数百mの地点に、阪南高校があります。

阪南高校と庭井2号公園に残る石碑「依網池跡」

この阪南高校と大和川の間に「庭井2号公園」という小さな公園があります。

小さな砂場もある、この敷地の片隅に「依網池跡」という石碑が建っているのです。

運動場一帯が池の中心だった可能性

ここが依網池のあった場所であり、おそらく、阪南高校の運動場あたりが、かつての依網池だったのでしょう。

依網池は大和川の出現により、少しずつ面積を減らしていってのは前述の通りです。

しかし、末期には、味右衛門池(みえもんいけ)庭井の池と名前を変えて、ほそぼそと存在していたようです。

最終的に、昭和40年代に、庭井の池がなくなったことで、依網池は完全に消滅したことになりました。

大阪に広がっていた「水の地形」を読み解く

河内湖・依網池…大阪は巨大水域の地域だった

以前、私は河内湖を紹介させていただきました。

河内湖といい、今回の依網池といい、昔の大阪は、巨大な湖や池で占められていたようです。

灌漑・治水の変化で姿を変えてきた大阪の地理

時代とともに、灌漑対策も変化し、現在の形となったのです。

池や川だけをとって見ても、歴史というのは面白いものです。

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Posted by かずきび47