消えた天才…小学校のドッジボール大会で剛球を投げていた少年との思い出

今回は、私の昔の思い出はなしにお付き合いいただければと思います。
今から40年ほど前。
私は大阪府の、とある小学校に入学しました。
私は1年5組でした。
当時、ドッジボールが流行っていて、クラス対抗戦が校内イベントとして行われていました。
クラス対抗のドッジボールで、制限時間内に残った人数の多いクラスが勝ちとなります。
私の属していた5組は、運動神経のいい子が多く、優勝候補の筆頭でした。
私自身、たいした能力はありませんでしたが…。
ドッジボール大会の1回戦。
下馬評通り、5組は4組に圧勝しました。
しかし、私にとっては、どうしても忘れられない試合となりました。
結果的に、5組は圧勝したのですが、4組の一人の少年が、私の記憶から消えなかったからです。
その少年の名前はK君。
5組の攻撃に、4組はほぼ全滅でした。
しかし、ただひとり、K君だけは動じることなく、コートの真ん中に仁王立ちして、不適な笑みを浮かべていたのです。
K君の体はとてつもなく大きく、投げる球も、小学1年生とは思えないほどの剛球でした。
4組自体は弱かったんですが、K君だけは誰も倒すことができず、その剛球には度肝を抜かれました。
ボールに当たると、むちゃくちゃ痛いのです。
「あれは反則だ!」
「すげぇ!」
5組の子供たちが、みんな驚いていたのを今でも覚えています。
そして、2年生になった頃、K君は、どこかへ転校していきました…。
時は流れ…
私は大学生になっていました。
その頃、関西の街を阪神大震災が襲いました。
当時、オリックスの選手だったイチロー選手は
「がんばろう!神戸」
の象徴として、地域復興に貢献していました。
その頃、小学校時代の私の友人が、私に次のことを教えてくれました。
「小学校時代、1年4組にいたK君、イチローと同じ年にオリックスにドラフト入団したらしいよ。」
「えっ?」
私は驚きました。
ドッジボールで剛球を投げていたK君は、なんとプロ野球選手になっていたのです。
しかも投手。
「プロ野球選手になるような人は、幼少の頃から、規格外!」
改めて思いました。
しかし、その後、K君は、プロ野球では活躍することなく、数年で引退します。
「イチローと同期入団」
という地元ローカルな話題だけを残して…。
あのすごかったK君が、全く活躍できなかったプロ野球。
そんなすさまじい世界で大活躍、しかもメジャーまで行って28年間も活躍し続けたイチロー選手は、改めてすごいと思いました。
そして、私の幼少の記憶から消えないK君。
彼は、今頃、どこで何をしているのでしょう。
少年野球の監督か、体育の先生か…。
私の頭の中では、あの剛球を投げる少年時代の姿しか、思い浮かんでこないのですが…。















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