2007年から2009年の3年間、私に襲いかかってきた2つの悲劇!

2021年8月10日雑記

本記事は2021年に投稿したものを2025年にリライトした記事になります。

2025年現在、私はフリーランスとしてさまざまなビジネスを展開し、週3日だけ働く充実した日々を過ごしています。

しかし、今から思い返すこと15年以上前。

2007年から2009年頃の話。

私は会社員でした。

そして、この3年間で、私は2つの悲劇に遭遇しました。

今回は、その悲劇を振り返ってみたいと思います。

悲劇①:サブプライム問題による金融資産大暴落

2000年代半ば。

私は、コンサルティング会社に勤務しており、激務生活を送っていました。

平日の出張・残業は当たり前。

週末も多くの仕事を残したまま、在宅で作業。

その合間に、スキルアップのため、資格取得の勉強も…。

当時、かわいい時期の小さな子供もいました。

tころが、私自身、仕事・勉強ばかりしていたような気がします。

今思えば、もったいない話です。

ただ、この激務生活はよくないと思い、当時、あまり流行っていなかったさまざまな副業に挑戦していた時期でもありました。

そのひとつが金融投資です。

特に、私の副業収入の軸となってくれていたのが、

FX(外国為替証拠金取引)

です。

FX以外にも、私は外貨MMF、投資信託、REITなどにも手を出していました。

ただ、本業の仕事に追いつく程度の収入を稼ぐためには、ハイリスク・ハイリターンのFXを軌道にのせることが必要だと思っていました。

事実、米ドル、豪ドル、南アフリカランド…

などの通貨をうまく組み合わせ、私はFXで多くの利益を得ていました。

元手としていた20万円。

これが数年で100万円になり、200万円になり…。

私は、自分には金融投資の才能があるのだと思っていました。

※実際、2000年代前半は小泉・竹中改革路線による金融政策で、株価が上昇し、誰でも儲かる相場でした。

そして、その自信が悲劇に変わったのが、2007年でした。

ご存知、サブプライムショックです。

世間的には、翌年のリーマンショックのほうが有名かもしれません。

しかし、私個人の中では、サブプライムショックによるダメージが甚大でした。

200万円ほどあった私のFXの口座が0円になったのです。

おかげで、リーマンショックの頃には、資産がなく、結果として、リーマンショックによるダメージは0だったのです。

では一体、なぜ、私のFX口座から200万円が消えていったのでしょう。

当時の私は、分散投資を心がけていました。

米ドルだけでなく、他の通貨も組み合わせたポジションとしていました。

米ドルが暴落しても、ユーロやランドが持ち堪えてくれる。

そんな、なんとなくの自信と安心感が、私の投資額(証拠金額)を増やし続けたのです。

そして2007年。

じわりじわりと円高が進み、私の不安は少しずつ膨らんできました。

評価損も膨らんできましたが、

”いつか円安にリバウンドするだろう”
”ここを乗り切れば、スワップ金利が蓄積されていく”

そんな思いでいました。

しかし、私の思いとは逆に、相場は急降下。

しかも、分散していた、すべての通貨でのありえない大暴落。

こんなこと、経験したことがありません。

200万円ほどあった評価額も、あれよあれよと減っていき…

損切りすることもなく、数日でジ・エンドを迎えました。

私の目の前で、200万円が消えた瞬間でした。

このときのショックは相当なものでした。

本業の激務を緩和するために、なんとかしようと始めた副業ですが、この有様です。

しかも、その金額の大きさに驚愕…。

これがFXの恐ろしいところです。

現在の世界経済は、ほぼつながっています。

暴落するときは、世界的に暴落することを学びました。

通貨の種類だけなら、分散投資にも限界があるのです。

そこで、私は時間分散(ドルコスト平均法)の必要性を痛感しました。

この頃から、私は積立インデックス投資にシフトするようになりました。

私はFXから距離を置くようになった瞬間です。

あのときの200万円…。

未熟な私にとっては、あまりにも高い授業料でした。

悲劇②:コンサル業界の地盤沈下に伴う大規模リストラ

先ほどの1つ目は、私の副業の悲劇でした。

2つ目は、私の本業の悲劇です。

副業は形のない投資でした。

このため、お金がなくなるのも納得でした。

しかし、2つ目の悲劇は、激務していた本業でのリストラでした。

当時、収入の多くは、本業からの給料に頼っていました。

このため、死活問題となりました。

2008年のリーマンショックの末、大企業の業績は悪化しました。

私の在籍していたコンサルティング会社のお客様の多くは大企業でした。

このため、間接的に、コンサルティング会社の仕事も激減しました。

仕事はないのに、溢れかえるコンサルタント。

現在活況のコンサルタント業界にいる若手には想像つかない世界かもしれません。

一年を通じて、お客様のところに一度も常駐したことのないコンサルタントが溢れかえっていました。

これも初体験のことです。

その結果、コンサルティング会社(業界)の収益は大幅に悪化。

”肩たたき”

と呼ばれる、いわゆるリストラが横行しました。

そんな中でも、私個人は継続してプロジェクトに参画していたため、リストラは免れました。

しかし、私の知人たちは、どんどんリストラされていきました。

このため、私にとっては、全く別の会社となりました。

そういう意味では、コンサルティング会社は、恐ろしいところです。

当時、なんとかリストラを免れた私でしたが、年俸は大幅に下がりました。

仕事のなかったコンサルタントはリストラに遭い、仕事のあったコンサルタントは激務薄給となったのです。

最悪でしたね。

会社に対する不信感が最高潮となった時期でした。

その後、大企業の業績は回復してきました。

すると、コンサルティング業界の収益は、当たり前のように急上昇していきました。

ビッグデータやAIなどの技術革新、DX改革ブームなどの影響もあり、2025年となった現在もコンサルティング業界の活況は続いています。

大学生からのコンサルティング業界の人気も急上昇中です。

しかし、私は、本件を通じて、

”会社は自分を守ってくれない”

ことを学習しました。

どんなに働いていても、会社の経営が苦しくなってきたら、簡単にリストラになるのです。

この頃から、私は起業を視野に入れるようになった気がします。

小さな会社を起業・経営し、自分自身で管理可能な範囲でビジネスを展開したいと強く思うようになりました。

まとめ

①サブプライムショックによる金融投資の大暴落

②リーマンショックによるコンサルティング業界の大リストラ

私は2007年から2009年までの3年間で2つの悲劇に遭遇しました。

しかし、この2つの悲劇がきっかけで現在の自分が形成されたと思っています。

・通貨分散していても、FXだけに頼る副業は危険

・金融投資という特定の副業だけに頼る副業は危険

・会社という組織は自分を守ってくれない

これらのことから、現在は自分で起業して、複数のビジネスを運営しています。

本業のコンサルティングは単発型の業務委託契約(フロー型収入)

副業の軸として不動産賃貸業は不労収入(ストック型収入)

この2つを中心に、金融投資、広告収入、スポットコンサル…

など、特定の事業に偏らないことを心がけています。

いわゆるビジネス3分法です。

会社員の方は安定しているように見えますが、ビジネス3分法的には、かなり不安定です。

会社が倒産すると、収入が途絶えてしまいます。

銘柄分散や時間分散だけでなく、ビジネス自体も分散する。

これが、現在の私のビジネスに対する基本方針となっています。

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Posted by かずきび47