人生の冗長設計を軸に、週3日だけ働く生き方・アダプテーションFIRE・フリーランスの独立・法人経営・不動産賃貸業・メンタルヘルス・大阪ローカルの不思議など、実体験から発信するブログです。

教科書どおりにやらない力…実務とは「何を捨てるか」を決めること

生活・その他雑記

「教科書どおりにやりましょう」

これは、基本的には正しいと思います。

法律は守らなければいけません。
システム開発なら、十分なテストをしたほうがいい。
受験なら、苦手科目も含めて幅広く勉強したほうがいい。
健康のためには、適度な運動をしたほうがいい。
セキュリティを考えれば、パスワードは複雑なほうがいい。

どれも間違っていません。

ただ、私は長く仕事をしてきて、少し違うことも感じるようになりました。

現実の世界は、教科書どおりには動いていない。

それは、みんなが教科書を知らないからでも、ルールを破っているからでもありません。

時間も、お金も、人も、体力も有限だからです。

だから現実には、

「どこまでやるか」
「どこから先はやらないか」

という判断が必要になります。

そして、この線を引くことこそ、実はかなり高度な能力なのではないかと思うのです。

今回はそのあたりの話をしてみたいと思います。

システム導入で、すべてをテストできるのか

私は長くコンサルティングの仕事をしています。

大規模なシステム導入では、当然ながらテストを行います。

機能テスト、結合テスト、ブラックボックステスト、ユーザー受入テスト、リグレッションテスト……。

教科書的に考えれば、考えられるケースをできるだけ網羅し、問題がないことを確認してから本番稼働するのが理想です。

では、実際のプロジェクトで、本当にすべてを確認できるでしょうか。

私の経験上、多くのケースでは、できません。

本番稼働日は決まっています。

人員も限られています。

途中で仕様変更も入ります。

テストをすれば不具合が見つかり、その修正をすれば、また別の場所を確認する必要が出てきます。

100%を求め続ければ、いつまでたっても本番稼働できません。

そこで実務では、

「ここが止まると出荷できなくなる」
「この機能は今回大きく変更した」
「ここで数字を間違えると経営判断に影響する」

といった箇所を重点的に確認します。

逆に、影響が小さく、発生頻度も低く、仮に問題が起きても回避策があるところは、テストの濃度を下げることがあります。

場合によっては、未実施のテストケースを残したまま本番へ行くことさえあります。

これは単なる手抜きとは違います。

残ったリスクを理解したうえで、そのリスクを受容して本番へ進む。

これも実務判断です。

震災でも、全部を同時には救えない

もっと極端な例が、災害時のトリアージでしょう。

大規模災害では、多数の傷病者が同時に発生します。

本来なら、全員に最高の医療をすぐ提供したい。

しかし、医師も看護師も設備も時間も有限です。

そこで緊急性などを評価し、限られた医療資源を配分します。

建物やインフラでも同じです。

大地震で道路、橋、水道、電気、住宅、公共施設が一斉に被害を受けたとして、

「壊れたところを全部すぐ直しましょう」

と言っても実行できません。

救急活動に必要な道路。

多数の住民に影響するインフラ。

二次災害につながりそうな場所。

そうしたところから資源を投入します。

すぐには直さない場所も出てきます。

つまり、

「全部直す」が正解でも、「全部を今直す」は正解ではない。

ここには、明確な優先順位があります。

受験では、全科目を均等に勉強する必要があるのか

受験も同じです。

英語、数学、国語、理科、社会。

全部きちんと勉強する。

教育として考えれば、それが理想でしょう。

しかし、大学受験の目的を「志望校に合格すること」と置いた瞬間、話が変わります。

志望校の配点を調べてみる。

英語の配点が大きい。

英語なら比較的伸ばしやすい。

数学は今から大幅に伸ばすには時間が足りない。

だったら、

「この大学、英語だけ頑張れば、とりあえず受かるやん」

という戦略が出てきてもおかしくありません。

英語90点、国語60点、数学30点。

それでも合格最低点を超えれば合格です。

一方、

英語60点、国語60点、数学60点。

すべてをバランスよく勉強した結果、不合格になったとしたらどうでしょう。

「バランスよく勉強した」という美しさと、「合格」という目的は別物です。

これは勉強をサボったのではありません。

試験制度を理解したうえで、有限な勉強時間をどこへ配分するか決めた。

これも一種の最適化です。

「1日1万歩」にも同じことを感じる

健康の世界にも似た話があります。

「健康のために1日1万歩歩きましょう」

あるいは、

「実は8000歩程度でも十分です」
「5000歩でも効果があります」

さまざまな数字が出てきます。

しかし、私は数字そのものを新しい教科書にしてしまうと、同じことの繰り返しだと思っています。

膝や足に問題がある人なら、500歩でも十分な日があるでしょう。

体調のいい日に5000歩歩けばいいかもしれません。

健康になるために歩いているのに、

「1万歩」という数字を守るために足を壊したら、本末転倒です。

目的は歩数計に1万という数字を表示することではありません。

健康的に生活することです。

パスワードは複雑であればあるほどいい?

セキュリティも面白い例です。

パスワードは長く、推測されにくく、サービスごとに異なるものを使う。

さらに多要素認証も使う。

セキュリティだけを考えれば、その方向へ強化するのは合理的です。

ところが、実際に使うのは人間です。

あまりにも複雑なルールを課すと、覚えられない。

似たパスワードを使う。数字だけ変える。使い回す…。

ということが起こります。

理論上のセキュリティを最大化した結果、人間が運用できなくなり、別の弱点を作ってしまう。

つまり、

理論上もっとも安全な仕組みと、人間を含めたシステムとしてもっとも安全な仕組みは、必ずしも同じではありません。

これも教科書と実務のGAPです。

全部80点にする話でもない

ここで誤解してほしくないのは、

「100点を目指さず、何でも80点くらいでいい」

と言いたいわけではないことです。

むしろ逆です。

重要なところは100点を目指す。

そこそこ重要なら70点。

影響が小さければ30点。

場合によっては0点でもいい。

100点、70点、30点、0点を意図的に混在させる。

これが実務なのだと思います。

震災なら、救急車が通る幹線道路は最優先で復旧する一方、利用者の少ない施設は後回しになる。

システムなら、止まれば会社の業務が停止する機能は徹底的にテストし、影響の小さな周辺機能は後回しにする。

受験なら、配点の大きな得意科目を90点まで伸ばし、費用対効果の悪い苦手科目は30点で割り切る。

すべてを均等に扱わない。

ここが重要なのです。

初心者の「やらない」と、熟練者の「やらない」は違う

そして、ここには大きな落とし穴があります。

教科書を知らない人が、

「面倒だから、このテストはやりません」

と言う。

これは単なる手抜きかもしれません。

一方、経験のある人が、

「本来ならこのテストも必要です。ただ、発生可能性と影響度を考えると、今回はここまででいいでしょう」

と言う。

表面的には、どちらも「テストをしなかった」という同じ結果です。

しかし中身はまったく違います。

受験でも同じでしょう。

勉強していない人が「数学は捨てます」と言うのと、

試験科目、配点、過去問、自分の得意不得意、残り時間を分析した人が、

「数学は30点でいい。英語で90点を取りに行く」

と言うのでは意味が違います。

だから私は、

教科書を超えるためには、まず教科書を知らなければならない

のだと思います。

何をすべきか分かっているからこそ、何をしなくてもいいか判断できる。

実務とは「何をしないか」を決めることなのかもしれない

教科書には、理想的な状態を書くことができます。

「十分にテストしましょう」
「バランスよく勉強しましょう」
「適度に運動しましょう」
「セキュリティを強化しましょう」

どれも正しい。

しかし現実には、

時間がない。お金がない。人が足りない。体力にも限界がある。締切もある。

だから必要なのは、

限られた資源を、どこへ投入するかを決めることです。

そして、それは同時に、

どこへ資源を投入しないかを決めることでもあります。

これは単なる妥協ではありません。

私はむしろ、

「不完全性を意図的に設計する」

という行為に近いと思っています。

AIは「100点の答案」を作るのが得意なのかもしれない

この話は、生成AIを使うようになって、さらに強く感じるようになりました。

AIは教科書的な知識を大量に持っています。

「理想的には何をすればいいですか?」

と聞けば、必要なことをきれいに列挙してくれます。

しかし現実の仕事では、

「全部できないのは分かっている。では、どれを捨てる?」

という問いのほうが難しい。

しかも、実務で「やらなかったこと」は記録に残らないことも多い。

無事に稼働したシステムの資料に、

「時間がなかったので、この37ケースはテストしませんでした」

という経験知が、体系的に残されるとは限りません。

ベテランの頭の中に、

「この辺まで確認できていれば、今回は行ける」

という感覚として残っていく。

こうした暗黙知は、教科書だけを大量に読んでも身につかないのかもしれません。

教科書を捨てるのではない

私は、教科書なんて必要ないと言いたいわけではありません。

法律やルールを無視していい、と言いたいわけでもありません。

むしろ、教科書は重要です。

100点とはどんな状態なのかを知らなければ、70点で止めていいのか、30点まで落としていいのか判断できないからです。

ただし、教科書に書かれた手段を、本来の目的より上に置いてはいけない。

1万歩歩くことが目的ではない。

全テストケースを消化することが目的でもない。

全科目で同じ点数を取ることが目的でもない。

本当の目的は何なのか。

その目的に対して、

どこを100点にするのか。

どこを70点で止めるのか。

そして、どこを0点にするのか。

限られた時間、金、人、体力の中で、その線を引く。

教科書は「何をすべきか」を教えてくれる。
実務は「何をしないか」を決める。

長く仕事をしていると、その「捨てる判断」こそが「経験」というものの正体の一つなのではないかと思うようになりました。

▼最後まで読んでいただき、ありがとうございました。この記事が少しでも参考になりましたら、応援クリックをいただけると、とても励みになります



Posted by かずきび