いつの間にか、私はベテラン刑事になっていた

高校野球を見ていて、ときどき不思議な感覚になります。
子どもの頃、高校球児はものすごく大人に見えました。
体も大きい。甲子園という大舞台で、大勢の観客の前でプレーしている。
小学生だった私からすれば、高校球児は完全に「お兄さん」でした。
ところが、自分が高校生になると、いつの間にか同年代になります。
さらに年齢を重ねると、今度は高校球児が若者に見えるようになる。
そして50代にもなると、高校球児を見ながら、
「子どもが野球をしているみたいやな」
という感覚になってきます。
もちろん、高校球児の年齢は昔から変わっていません。
変わったのは私です。
もう少し年齢を重ねれば、
「孫くらいの子が野球をしている」
という目で甲子園を見る日が来るのかもしれません。
同じ高校野球を見ているのに、見え方がまったく違う。
対象が変わったのではありません。
自分の立っている場所が変わったのです。
昔の刑事ドラマには、二人の刑事がいた
これとよく似た感覚を、昔のサスペンスドラマを思い出して感じることがあります。
刑事ドラマには、よく二人組の刑事が登場しました。
一人はベテラン刑事。
もう一人は若手刑事です。
若手刑事は、パソコンや携帯電話など、新しい技術を使って捜査を進めます。
一方、ベテラン刑事は現場へ行く。
関係者に会う。
何度も同じ場所を歩く。
そして、ときどきこんなことを言います。
「どうも引っかかるんだよな」
若手刑事が聞きます。
「何か証拠があるんですか?」
するとベテラン刑事は、
「いや、刑事の勘だ」
などと言う。
若い頃の私は、どちらかといえば若手刑事側からドラマを見ていたように思います。
科学捜査をすればいい。データを調べればいい。
わざわざ現場を歩き回るより、パソコンで調べたほうが速い。
ベテラン刑事のやり方は、どこか古臭く、非効率にも見えました。
ところがドラマの最後では、なぜかベテラン刑事の「勘」が当たっている。
「あの人の証言、どうもおかしいと思ったんだ」
などと言いながら、最後には犯人へ近づいていきます。
もちろんドラマですから、そういう脚本になっていると言えばそれまでです。
でも、今になってみると、あの「刑事の勘」というものが、少し分かるような気がするのです。
気がつけば、自分がベテラン刑事になっていた
私は長くコンサルティングの仕事をしています。
若い頃は、フレームワークを一生懸命覚えました。
ITの動向も追いかけました。
データベースやプログラミングについても勉強しました。
もちろん、今でもこうした知識は大切です。
データを軽視するつもりもありません。
AIや新しいITを否定するつもりもありません。
むしろ、使えるものはどんどん使えばいいと思っています。
ただ、長く仕事をしているうちに、自分の見ているところが少しずつ変わってきました。
個々のITや機能を見るよりも、
「そもそも、このプロジェクトはどこへ向かっているのだろう」
と考えるようになりました。
計画通りに進んでいるかより、
「本当に問題なのはどこなのだろう」
を見るようになりました。
そして、
「最後はどこが成功要因になるのか」
「この会社はどこまでなら変えられるのか」
「最終的な妥協点はどこになるのか」
そんなことを考えることが増えました。
不思議なことに、それをすべて論理的に説明できるわけではありません。
「なんとなく、このままではうまくいかない気がする」
「たぶん、問題になるのはそこではない」
そんな感覚が働くことがあります。
若い頃の自分なら、
「根拠は何ですか?」
と聞いていたかもしれません。
ところが今の自分は、
「うーん。経験上、なんとなく……」
と言っている。
気がつけば、私はベテラン刑事役になっていました。
「一度、飲みに行きませんか」
その象徴のようなものが、対面でのコミュニケーションです。
今ならZoomやTeamsで大抵の打ち合わせはできます。
移動時間もありません。
資料も共有できます。
議事録も残せます。
情報伝達だけを考えれば、非常に効率的です。
それでも私は、ときどき、
「一度、直接会いませんか」
とか、
「飲みに行きませんか」
と言うことがあります。
若い頃の自分なら、非効率だと思ったかもしれません。
ところが、長くプロジェクトを経験していると、大きな問題の多くは、ITやデータの比較だけでは説明できないことが分かってきました。
最後に問題になるのは、組織だったり、人だったりすることが多いのです。
この部門は本当に協力してくれるのか。
この人は会議では賛成しているけれど、本当はどう思っているのか。
誰と誰の関係が悪いのか。誰が誰に遠慮しているのか。経営側が絶対に譲れないものは何なのか。現場がどうしても受け入れられないものは何なのか。
こうしたものは、Excelのセルにはなかなか入りません。
データベースにも格納しにくい。
会議の議事録にも、まず書かれません。
ところが、プロジェクトの成否には大きく影響します。
だから、ときにはZoomより、直接会って話したほうがいい。
ときには会議室より、飲みながら話したほうが分かることもある。
一見すると非効率です。
でも、ベテラン刑事が、
「ちょっと現場を見てくる」
と言うのと、案外似ているのかもしれません。
ベテランの「勘」とは何なのだろう
では、この「勘」とは何なのでしょう。
私自身、まだうまく説明できません。
ただ、単なる思いつきではないように思います。
何十年も仕事をしていると、たくさんのプロジェクトを見ます。
うまくいったもの。途中でおかしくなったもの。計画は完璧だったのに失敗したもの。技術的には難しかったのに、関係者の協力によって成功したもの。当初案とはまったく違う妥協点に着地したもの。
そうした大量の経験が、どこかに蓄積されているのでしょう。
一件一件を明確に覚えているわけではありません。
それでも似た状況に出会うと、
「この感じ、前にもあったな」
と何かが反応する。
おそらく、それを私たちは「勘」と呼んでいるのだと思います。
経験が圧縮され、本人にも完全には明文化できなくなったもの。
いわゆる暗黙知に近いのかもしれません。
だから厄介でもあります。
フレームワークなら教えられます。
ITの知識ならマニュアルにできます。
データ分析なら手順を標準化できます。
しかし、
「このプロジェクト、なんか変だぞ」
という感覚を、手順書にするのは難しい。
無理に標準化してしまうと、その瞬間に何か大切なものが抜け落ちてしまうような気もします。
科学か、勘か、ではない
もちろん、だからといって科学やデータが不要だと言いたいわけではありません。
むしろ逆です。
ベテラン刑事だって、指紋やDNA鑑定を無視して捜査するわけではないでしょう。
科学捜査を使ったうえで、
「でも、何かおかしい」
と考える。
コンサルも同じです。
データを見る。ITを使う。AIも使う。フレームワークも使う。
そのうえで、
「数字は合っている。でも、この組織ではこの通りには動かないんじゃないか」
と考える。
科学と勘のどちらが正しいか、という話ではありません。
科学やデータでは捉えにくいものを、長い経験が補っている。
そんな関係なのだと思います。
そして、その経験の多くが「人間」に関係しているところが面白い。
技術は変わります。ITも変わります。AIも進化します。
しかし、プロジェクトを動かしているのは、今のところ人間です。
人間には感情があります。立場があります。過去の経緯があります。プライドがあります。社内政治もあります。合理的には説明できない事情もあります。
長くコンサルをしてきて身についたものの一つは、最新技術についての知識以上に、
「結局、最後は人と組織の問題になることが多い」
という感覚なのかもしれません。
見ているものは同じでも、自分が変わっている
高校球児は、昔から高校生です。
変わったのは、それを見る私の年齢でした。
刑事ドラマのベテラン刑事も、昔から同じことを言っています。
「現場を見てくる」
「どうも引っかかる」
「刑事の勘だ」
変わったのは、それを見る私の側でした。
そして仕事でも同じでした。
若い頃には非効率に見えていたものが、今では必要に思える。
逆に、若い頃には重要だと思っていたものが、今では「それだけではプロジェクトは動かない」と思える。
高校球児を見ながら、
「ずいぶん若く見えるようになったな」
と思う。
昔の刑事ドラマを見ながら、
「ベテラン刑事の気持ち、分かるな」
と思う。
そして仕事では、
「一回、現場へ行きましょう」
「Zoomじゃなくて、たまには飲みに行きましょう」
などと言っている。
高校球児も、刑事ドラマも、コンサルの仕事も、それほど変わっていないのかもしれません。
いつの間にか、自分の立っている場所が変わっていた。
そして気がつけば、私はあの頃「非効率なおじさんだな」と思って見ていた、ベテラン刑事の側に立っていました。



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