週5日ワークから週3日ワークへ…でも週1日ワークにしない理由とは?

健康は大切です。
これは、たぶん誰も否定しないでしょう。
私自身、人間ドックには行ったほうがいいと思っています。適度な運動も必要です。食生活にも気をつけたほうがいい。睡眠時間を削ってまで仕事をすることにも、私はあまり賛成しません。
実際、このブログでも「仕事だけの人生にしない」「働きすぎない」という話を何度も書いてきました。
なぜなら、私自身がかつて、かなり仕事に偏った生活をしていたからです。
会社員時代は週5日働くのが当たり前でした。
仕事に多くの時間とエネルギーを投入する。
健康より仕事。生活より仕事。
少なくとも今から振り返れば、かなり仕事側に重心を置いた生活だったと思います。
そこからいろいろな経験を経て、今の私は週3日程度働くスタイルにたどり着きました。
医療にも時間を使う。健康にも気を配る。休む時間も確保する。それでも仕事は続け、必要な所得も得る。
私にとっての週3日ワークは「できるだけ働かない」という話ではありません。
仕事と健康と生活の間で、自分なりのバランスを探した結果です。
ところが、ここでふと思うのです。
健康が大切なら、週3日より週2日のほうがいいのでしょうか。
週2日より、週1日のほうがいいのでしょうか。
空いた時間で毎日ジョギングをして、水泳にも行き、人間ドックや健康診断を充実させ、睡眠時間もたっぷり確保する。
食事は納豆と野菜と魚を中心にして、ストレスになる仕事は極力避ける。
おそらく、健康管理に使える時間は今より増えます。
でも私の場合、そこまで仕事を減らせば、今度は家計のほうが成り立たなくなります。
子ども3人、住宅ローン、両親の介護、法人維持費…。
では、週1日ワークのほうが、本当に週3日ワークより「良い生活」なのでしょうか。
最近、そんなことを考えています。
リスクをゼロにすれば、本当に幸せなのか
事件に巻き込まれたくない。それなら、外出しなければいい。交通事故にも遭いにくくなるし、犯罪に巻き込まれる可能性も下がります。
溺れたくない。それなら、海に行かなければいい。
感染症にかかりたくない。それなら、できるだけ人と会わなければいい。
どれもリスク管理としては、ある意味では正しいです。
でも、それを徹底した生活を、本当に私たちは望んでいるのでしょうか。
海に行かなければ、溺れるリスクは下がります。しかし、海で遊ぶこともできません。
人と会わなければ、感染症のリスクは下がります。しかし、人との出会いや会話も減っていきます。
外出しなければ、事故や事件に遭う可能性は下がります。しかし、外の世界で経験するものも失われます。
リスクを下げれば下げるほど、必ず人生が豊かになるわけではありません。
リスクを減らすことと、人生を良くすることは、必ずしも同じ方向を向いていない。
私はここが大切なのではないかと思っています。
ファイアウォールのために会社があるわけではない
仕事の世界で考えると、もっと分かりやすいかもしれません。
企業にとってセキュリティは重要です。
サイバー攻撃を受ければ、会社の業務そのものが止まることさえあります。
だからファイアウォールを導入する。
アクセスを制御する。バックアップを取る。セキュリティ教育もする。
では、会社の人員と予算のすべてをセキュリティ対策に投入したらどうでしょう。
おそらく、ものすごく安全な会社になります。
しかし、営業する人がいません。商品を作る人もいません。新しい事業を考える人もいません。売上も生まれません。
会社は安全かもしれませんが、そもそも何のために存在しているのか分からなくなります。
会社はファイアウォールを守るために存在しているのではありません。
本来のビジネスを続けるために、ファイアウォールがあるのです。
これ、人間の健康も同じではないでしょうか。
0点に抑えるだけでは、野球には勝てない
野球なら、さらに単純です。
ものすごい投手ばかり集める。
相手打線を毎試合0点に抑える。
素晴らしい投手陣です。
しかし、自分たちも1点も取れなければ勝てません。
だからといって、打撃だけに全振りして、毎試合10点取るけれど15点取られるチームでも困ります。
投手力か、打撃力か。
どちらが大切かという話ではありません。
両方必要なのです。
どちらか一つを100点にすることではなく、チーム全体として勝てる状態を作る。
人生も同じではないかと思います。
健康は、失点を防いでくれます。
でも私たちは、失点しないためだけに生きているわけではありません。
仕事をする。所得を得る。家族と暮らす。旅行をする。人と会う。何かを作る。新しいことを経験する。
そうやって「点を取りに行く」ことも、人生には必要です。
健康だけを最大化してみる
少し極端な生活を想像してみます。
毎年きちんと人間ドックを受ける。
毎朝ジョギングする。
週に何度も水泳する。
睡眠時間を十分確保する。
食事は納豆、野菜、魚を中心にする。
お酒も飲まない。
夜更かしもしない。
ストレスのかかる仕事もしない。
健康という一つの指標だけを見れば、かなり良さそうです。
でも、そのために仕事をほとんどせず、所得も少なく、貯蓄も作れなかったとしたらどうでしょう。
そして50代、60代になって病気になった。
医療費が必要になる。
仕事を休むための貯蓄も必要になる。
身体への負担が少ない住環境も欲しくなる。
場合によっては、お金を払って誰かの助けを借りる必要も出てきます。
そこで気づきます。
健康を支えるためにも、お金が必要だった…。
これは意外と語られません。
よく言われるのは逆方向です。
「健康を失ったら働けなくなる」
「身体を壊したら、お金を稼げなくなる」
これはその通りです。
でも、矢印は一方向ではありません。
所得があるから、医療を受けられる。
所得があるから、仕事を休める。
貯蓄があるから、無理な仕事を断ることができる。
お金があるから、住環境を整えることもできる。
つまり、
健康だから所得を得られる。
そして同時に、
所得があるから健康を守れる。
両者は敵同士ではなく、お互いを支えています。
週5日から週3日へ…では、週1日ならもっといいのか
私自身の働き方も、この視点で見ると分かりやすくなります。
会社員時代の私は週5日働いていました。
仕事への配分が大きすぎた。
だから今は、そこから仕事の比率を下げています。
週3日ワーク。
残りの時間を、医療や健康管理、生活、休養、その他のことに使う。
私にとっては、今のところ、このくらいが比較的バランスを取りやすい。
では、健康が重要だから、さらに仕事を減らせばいいのでしょうか。
週2日にする。さらに週1日にする。
空いた日はジョギングをする。水泳にも行く。健康的な食事を作る。睡眠時間をさらに増やす。病院にも余裕をもって通える。
確かに、健康管理だけを見れば充実するでしょう。
しかし、私の場合は所得が足りなくなります。
家計を維持できなくなれば、それは別の大きなリスクになります。
将来への不安が増えるかもしれない。
貯蓄を取り崩すかもしれない。
必要な支出を削らなければならなくなるかもしれない。
それは本当に「健康的」なのでしょうか。
ここまで来ると、週5日と週1日は、方向こそ逆ですが、同じ問題を抱えているようにも見えてきます。
一つのものに配分しすぎている。
週5日で仕事に全振りする。
週1日にして健康管理に全振りする。
どちらかが絶対的に正しいのではなく、その間のどこかに、自分にとって持続可能な場所がある。
私の場合、それを探してたどり着いた一つの答えが、今の週3日ワークなのだと思います。
「健康第一」は、局所的には正しい
だから私は「健康第一」という言葉を否定したいわけではありません。
人間ドックにも行ったほうがいいと思っています。
運動もしたほうがいい。食生活にも気をつけたい。きちんと寝たほうがいい。
仕事だけの人生にもしたくありません。
ただ、「健康第一」という言葉をそのまま人生全体の最適化目標にすると、少しおかしなことになる。
健康だけを最大化しようとすれば、究極的には外に出ず、人にも会わず、危険なことには挑戦せず、仕事によるストレスも避ける方向に進んでしまいます。
もちろん、そんな生活を勧めている人はいません。
つまり私たちは無意識のうちに、すでにどこかで妥協しているのです。
ある程度のリスクを受け入れながら、人生を動かしている。
だったら問題は、「健康か仕事か」ではないはずです。
どの程度のリスクを取り、どこに時間とお金を配分すれば、人生全体が長く回り続けるのか。
そう考えたほうが自然です。
BCPは「何も起こさないこと」ではない
企業にはBCP(事業継続計画)という考え方があります。
BCPの目的は、災害も事故も障害も絶対に起きない会社を作ることではありません。
そんなことは不可能です。
何かが起きることを前提に、それでも重要な事業を続けられるようにしておく。
私は、人生もこれに近いのではないかと思っています。
病気にならないことだけを目指すのではない。
お金を最大化することだけを目指すのでもない。
仕事で成功することだけを目指すのでもない。
健康もある。所得もある。貯蓄もある。自由な時間もある。人とのつながりもある。
そして、どれか一つに問題が起きても、別の何かで支えられる。
健康を崩したら、貯蓄と所得が支える。
所得が落ちたら、資産や専門性が支える。
仕事が忙しくなったら、余白が吸収する。
人生のどこかに障害が発生しても、全体として止まらない。
そのほうが、単独の指標を100点にするより強いのではないでしょうか。
健康になるために、生きているわけではない
健康は、とても大切です。
でも、健康になることそのものが人生の最終目的ではないと私は思っています。
車は故障しないためだけに存在しているわけではありません。
会社は倒産しないためだけに存在しているわけでもありません。
野球チームは失点しないためだけに試合をしているわけではありません。
人間も、病気にならないためだけに生きているわけではないでしょう。
健康だから働ける。健康だから旅行できる。健康だから人と会える。健康だから何かに挑戦できる。
そして、働いて所得を得るからこそ、その健康を守れることもある。
だから私は、週5日働いていたところから週3日に減らしました。
でも、「健康第一だから週1日にしよう」とは思いません。
私の場合、それでは人生の別の部分が壊れてしまうからです。
仕事をしすぎて健康を壊すのも違う。
健康を守ることに集中しすぎて、家計を壊すのも違う。
必要なのは、何か一つを最大化することではなく、人生全体が長く回り続ける状態を作ること。
0点に抑える投手も必要です。
1点を取りにいく打者も必要です。
そして、長いシーズンを戦えるだけの選手層も必要です。
「健康第一」という一つの正解ではなく、自分の人生全体を見ながら、そのときどきで配分を変えていく。
私にとっての週3日ワークは、働かないための働き方ではありません。
健康も、所得も、時間も、生活も、どれも止めないための働き方。
今のところ私は、それくらいがちょうどいいのだと思っています。



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