PLの塔はなぜ大阪中から見えたのか…花火、甲子園、そして金剛山が見守る南大阪の記憶

はじめに
大阪南部を車で走っていると、遠くに白い巨大な塔が見えることがあります。
近鉄南大阪線。南阪奈道路。外環状線。西名阪自動車道…。
どこを走っていても、ふと目に飛び込んでくる白い塔。
「あ、PLの塔!」
大阪で育った人なら、一度はそう口にしたことがあるのではないでしょうか。
正式名称は「超宗派万国戦争犠牲者慰霊大平和祈念塔」。
一般には「PLの塔」と呼ばれています。
大阪でも指折りの高さを誇る巨大な塔
PLの塔の高さは約180メートル。
1970年に完成しました。
すべての戦争犠牲者を慰霊し、世界平和を祈念するために建てられた慰霊塔です。
180メートルという高さは、現在でも大阪府内では有数です。
もちろん、
・あべのハルカス(300m)
・大阪府咲洲庁舎(256m)
・りんくうゲートタワービル(256m)
には及びません。
しかし、それら超高層ビルが建つ何十年も前から、この高さの建造物が南河内に建っていたことを考えると、その存在感は圧倒的でした。
子どもの頃、
「大阪のどこからでも見える。」
そう思っていた記憶も、あながち間違いではありません。
なぜ、あんな不思議な形なのか
PLの塔は、展望台でもありません。
テレビ塔でもありません。
一般的なタワーのように、細く真っすぐ空へ伸びる構造でもありません。
白くねじれたような独特の姿。
初めて見る人は、
「何の建物なんだろう。」
と思うはずです。
実は、この形には意味があります。
第二代教祖が制作した粘土作品を原型として、その造形を巨大化したもので、世界平和への祈りを表現した彫刻的な建築なのです。
大阪には太陽の塔がありますが、PLの塔もまた、「1970年」という時代を象徴する、大阪らしい巨大モニュメントの一つと言えるのかもしれません。
偶然にも、この塔が完成したのは大阪万博が開催された1970年。
同じ年に大阪には二つの巨大な塔が誕生し、それぞれ異なる形で「未来」や「平和」への思いを表現していました。
その後ろには、大阪最高地点のある金剛山
私が好きなのは、この景色です。
PLの塔のさらに奥には、大阪府最高地点のある金剛山がそびえています。
天気の良い日には、
巨大な白い塔。
その背後に広がる金剛山地。
この組み合わせを見ることができます。
人工物と自然。
大阪を代表する二つのランドマークが、一枚の風景の中に収まるのです。
私は以前、金剛山についても記事を書きました。
大阪最高地点として知られる金剛山もまた、多くの大阪人に親しまれてきた山です。
もし興味があれば、ぜひそちらもあわせてご覧ください。
夏といえば、PL花火だった
私が子どもの頃、夏になれば、
「今日はPLや。」
そんな会話が普通にありました。
わざわざ富田林まで行かなくても、近所の公園、団地の廊下、少し高い場所。
そんなところからでも花火が見えました。
正式名称は「教祖祭PL花火芸術」。
毎年、多くの人が楽しみにしていた大阪の夏の風物詩でした。
今では、淀川花火大会の知名度のほうが高いかもしれません。
しかし、私の中では、
「大阪の花火」
と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、やはりPLの花火です。
そして甲子園にはPL学園がいた
夏といえば、もう一つのPL。
PL学園です。
甲子園では毎年のように優勝候補。
全国の高校球児が憧れる存在でした。
私の世代なら、やはり桑田真澄選手と清原和博選手。
「KKコンビ」の印象が圧倒的です。
その後も数え切れないほどの名選手を送り出し、「PL」の二文字は高校野球そのものを象徴するブランドになっていました。
南大阪が最も輝いていた時代
振り返ってみると、PLの塔、PL花火、PL学園。
これらは別々の存在ではありません。
昭和から平成にかけて、南大阪が最も活気に満ちていた時代を象徴する風景だったように思います。
もちろん、時代が変われば街も変わります。
花火は開催されなくなりました。
PL学園野球部も、かつての姿ではありません。
人の流れも、商業の中心も、大きく変化しました。
それでも、PLの塔だけは今も静かに立ち続けています。
おわりに
大阪には、通天閣があります。
太陽の塔があります。
あべのハルカスがあります。
そして、南大阪にはPLの塔があります。
それぞれ役割は違います。
しかし、どれも大阪人の記憶に深く刻まれたランドマークです。
私は今でも、遠くに白い塔が見えると、
「このあたりまで来たんだな。」
と、現在地を教えてくれる目印のように感じます。
その後ろには、変わることなく金剛山がそびえています。
人工物と自然。昭和と令和。賑わいと静けさ。
そのすべてを見守るように立ち続けるPLの塔は、「大阪の謎と記憶」を語るうえで欠かすことのできない存在なのかもしれません。
遠くに見える白い塔は、私にとって建物ではありません。
大阪で過ごした時間そのものを思い出させてくれる、記憶のランドマークなのです。
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