AIでも解けない「三体問題」が人間社会には存在する!

はじめに
物理学には、「二体問題」と「三体問題」という有名な話があります。
たとえば、
・地球と月
・地球と太陽
のように、二つの天体だけで構成される世界。
これらは、ニュートン力学によって比較的きれいに計算できます。
軌道も予測でき、未来の位置も、かなり正確に求められます。
ところが、そこにもう一つ天体を追加した瞬間、世界は急激に複雑になります。
有名な「三体問題」です。
太陽・地球・月。
三つの天体が互いに引っ張り合うことで、運動は極端に不安定になります。
ほんのわずかな初期条件の違いが、長期的には大きな差を生んでいきます。
簡単には未来を予測できなくなるのです。
私はこの話を知ったとき、
「これは人間社会そのものではないか」
と強く感じました。
二人の対立は、まだ解決しやすい
たとえば会社の中で、AさんとBさんだけの対立であれば、まだ調整は比較的簡単です。
利害関係を整理し、
・何を求めているのか
・何がボトルネックなのか
・落としどころはどこなのか
を整理すれば、何とか着地できることも多いです。
これは、ある意味「二体問題」です。
ところが、そこに第三の人物であるCさんが入った瞬間、世界が変わります。
AとBだけの問題だったはずが、
・Cさんの評価制度
・部門間の政治
・過去の因縁
・上司との関係
・空気感
・社内文化
などが絡み始めてきます。
すると、単純なロジックでは解けなくなるのです。
コンサルの現場は「三体問題」だらけ
私は長年、SCM、S&OP、DX、業務改革、全体最適…といった仕事に関わってきました。
ただ、この世界、本当に難しいです。
なぜなら、営業・生産・調達・在庫・財務・海外工場・サプライヤー・小売…
など、多数の主体が相互作用しているからです。
しかも、それぞれが別のKPIで動いている。
営業は売上を追う。
工場は稼働率を守る。
調達は欠品を恐れる。
財務は在庫圧縮を求める。
小売は急な特売を要求する。
サプライヤーは自社都合で納期を変更する。
この時点で、すでに「三体問題」どころではありません。
巨大な多体系です。
「正しい計画」を作っても、現実は崩れる
さらに厄介なのは、
「人間は観測されると行動を変える」
ということです。
需要予測AIを導入したとします。
しかし現場では、
・営業が数字を盛る
・工場が安全在庫を隠す
・部門が責任回避する
・KPIを守るために局所最適化する
といったことが起きる。
つまり「モデルを導入した瞬間に、モデル対象そのものが変化する」のです。
これは、自然科学とはかなり異なります。
地球は「軌道予測されたから、今日は気分を変えよう」とはなりません。
しかし、人間組織は変わってしまう。
ここが、社会の難しさです。
AIでも解けない世界
最近は「AIが最適解を出してくれる」という話も増えました。
確かにAIは強力です。
需要予測。異常検知。在庫分析。シミュレーション。
こうした分野では、今後さらに活用が進むと思います。
ただ、それでも私は、
「人間社会そのものの複雑系」
までは、完全には解けないと思っています。
なぜなら、そこには、
感情・政治・商慣習・恐怖・評価・保身・空気…
などが存在しているからです。
しかも、その相互作用は、時に非常に非線形です。
ほんの小さな噂。たった一人のキーマン退職。経営者の鶴の一声。
それだけで、せっかく積み上げた全体最適が一気に崩れることもある。
まさに物理学的にいうバラフライ効果のような世界です。
「構造を見る人」ほど疲弊しやすい
私は、この仕事自体は嫌いではありませんでした。
むしろ「構造を考えること」そのものは好きでした。
ただ、その一方で、
・部門間の摩擦
・将来の副作用
・在庫の偏在
・KPIの衝突
・現場の感情
・組織政治
まで、頭の中で常にシミュレーションし続ける状態でもありました。
これは、ある意味、
「常に複雑系を見続けている状態」
だったのだと思います。
そして結果的に、私はうつ病になりました。
会社員を辞め、独立し、現在は「週3日ワーク」という形で生活しています。
これは単なる「楽をしたい」という話ではありません。
私自身
「複雑系とは距離を取らないと、人間は壊れることがある」
と実感したからです。
三体問題を「解こうとしすぎない」という考え方
若い頃の私は「全体最適を作れば、世界はうまく回る」と考えていました。
しかし現実は、そう単純ではありませんでした。
人間社会は、多数の相互作用が絡み合う複雑系です。
しかも、全体を最適化しようとすると、今度は調整コストそのものが爆発する。
これは、S&OPでも、組織運営でも、人生でも同じでした。
だから今の私は「三体問題を完全に解こうとしない」ことも大事だと思っています。
相互作用を減らす
数学には「対角行列」という考え方があります。
対角成分以外がゼロになると、各要素同士の干渉が減り、それぞれが比較的独立して動きやすくなります。
人間社会も少し似ています。
すべてを密結合にすると、確かに理論上は全体最適に近づくかもしれません。
ただ、その代わり、調整・会議・政治・根回し・感情摩擦…
が爆発的に増えていく。
だから私は「少し疎結合にする」ことも大事だと思うようになりました。
余白は「無駄」ではない
現在の私は、週3日ワークという形で働いています。
これは単なる労働時間削減ではありません。
あえて、
・予定を詰め込みすぎない
・相互作用を増やしすぎない
・常時接続しない
・調整コストを増幅させない
という設計でもあります。
以前、私は別の記事でも、
「週3日ワークとは、単なる労働時間短縮ではなく、人生の余白を作る設計思想」
だと書きました。
しかし今振り返ると、これは単なる働き方論ではなく、
「複雑系を暴走させないための設計」
だったのかもしれません。
物理の世界でも、複雑系が不安定化すると、ほんの小さなノイズが巨大な変動につながります。
人間社会も同じです。
余白がゼロになると、
・小さなトラブル
・一通のメール
・一回の会議
・一人の感情の変化
だけで、一気に全体が崩れることがある。
だから私は「余白」とは単なる休みではなく、
「複雑系を安定させるための緩衝材」
なのだと思っています。
おわりに
物理学の三体問題は、
「単純なルールでも、相互作用が増えると世界は急激に不安定になる」
ことを教えてくれます。
そして、それは人間社会でも同じです。
AIが進化しても、組織・政治・感情・商慣習・空気…
といった複雑な相互作用は、簡単には消えません。
むしろ、技術が進化するほど、
「最後に残るのは、人間社会そのものの複雑さ」
なのかもしれません。
だからこそ私は今「すべてを制御しようとしない」ことも大切にしています。
少し疎結合にする。余白を持つ。相互作用を増やしすぎない。
それは逃げではなく「複雑系と共存するための設計」なのだと思っています。





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