栂・美木多の西原公園に残る「牛石古墳」とは何だったのか

泉北ニュータウンの片隅に残っていた、もう一つの時間
私は現在53歳。
子どもの頃は、泉北ニュータウンの栂・美木多駅、桃山台で育ちました。
泉北ニュータウンの中でも、当時、栂・美木多周辺は少し独特の空気がありました。
泉ヶ丘ほど中心感が強いわけでもなく、光明池ほど新しい街の印象でもない。(現在は、光明池よりも新しい和泉中央駅ができてますが。)
その少し曖昧な立ち位置が、逆に「生活の街」としての落ち着きを作っていたように思います。
そんな栂・美木多駅近くにある西原公園には、子どもの頃から、少し不思議な場所がありました。
西原公園の中にある、林のような一角。
そこに、牛が横たわっているようにも見える大きな石があります。
その名前は「牛石古墳」
当時、私を含め地元の子どもたちは、
「須恵器を作った人の墓らしい」
「この辺は昔、ニュータウンができる前は古墳群だったらしい」
そんな話を半分噂のように聞いてました。
もちろん、詳しい歴史を知っていたわけではありません。
ただ、泉北ニュータウンという人工的な街の中に、そこだけ妙に古い時間が残っている感覚がありました。
子どもが多かった時代の「静かな場所」
昔の西原公園は、今よりずっと賑やかでした。
グラウンドには野球・サッカーなど子どもが集まり、団地の周囲にも人の気配が多かった。
桜やケヤキも美しく、休みの日にはバザーや迷路のようなイベントも企画され、ニュータウンの大型公園らしい開放感があったと思います。
その中で、牛石古墳のある場所だけは、少し空気が違っていたような気がします。
周囲は賑やかなのに、そこだけ妙に静かだったのです。
だからこそ、子どもにとっては逆に印象に残る場所だったのかもしれません。
「なんでこんな石があるんやろ」
と感じるなんともいえない違和感が、ニュータウンの日常風景の中に埋め込まれていました。
泉北ニュータウンと、消えなかった地形の記憶
泉北ニュータウンは、大規模造成によって作られた計画都市です。
道路、公園、団地、歩車分離…。
高度経済成長期の理想的郊外として整備されたことは言うまでもありません。
ただ、その造成以前には、丘陵地帯の暮らしや地形が存在していたのです。
古墳や須恵器窯跡が点在していたという話も、この地域では珍しくありません。
ニュータウンは「まったく新しい街」のように見えながら、実際には過去の地形や歴史の上に重なって作られています。
牛石古墳は、その痕跡がひっそり残った存在なのだと思います。
今では「違和感」が景色に溶け込んでいる
久しぶりに西原公園を歩くと、子どもの頃とは、空気が大きく変わってました。
もちろん公園自体はきれいに整備されています。
ただ、昔のような子どもの密度はありません。
ウォーキングをする高齢者、静かな遊歩道、ゆっくり流れる時間。
かつては
「賑やかな公園の中の不思議な場所」
だった牛石古墳は、今ではむしろ周囲の静けさに自然に溶け込んでいるように感じました。
違和感だったものが、街の時間変化とともに風景側へ移っていったのです。
それは、ニュータウンそのものが、すでに一つの「歴史ある場所」になり始めているような気がしました。
牛石古墳は、単なる石でも、単なる古墳でもなく、泉北ニュータウン以前の時間と、ニュータウン世代の記憶が、静かに重なっている場所なのだと思っています。






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