泉ヶ丘駅の橋は昔から揺れていた…ブックスいずみと私の受験の記憶

はじめに
大阪・泉ヶ丘駅。
現在は駅前の再開発が進み、風景も少しずつ変わり始めています。
かつて「トリオト」があった場所は、今では「コノミヤ」へ変わり、パンジョ側でも大規模な開発工事が続いています。
ただ、現在53歳の私の中には、もう少し昔の泉ヶ丘の風景が、今でもかなりはっきり残っています。
その中でも、不思議と記憶に残っているのが
「駅前の橋が少し揺れていた」
という感覚です。
立ち止まると、少し揺れる橋
泉ヶ丘駅を降り、パンジョ側へ向かう大きな橋。
昭和の頃から、あの橋は立ち止まると少し揺れていました。
もちろん、危険というほどではありません。
ただ「ゆらっ」と、独特の感覚があったのです。
子供の頃は少し不思議でした。
でも、当時は誰も気にしていませんでした。
むしろ「そういうもの」として、みんな普通に歩いていた気がします。
今思えば、昭和の巨大ニュータウン構造物らしい「揺れを逃がす設計」だったのかもしれません。
完全に固定するのではなく、少ししなる。
巨大な構造物だからこそ、ある程度の余白を持たせる。
今の時代とは少し違う、「昭和の設計思想」のようなものが、あの橋には残っていた気がします。
パンジョへ向かう途中にあった「ブックスいずみ」
そして、その橋を渡った先。
私の記憶に強く残っているのが、小さな書店、
「ブックスいずみ」
です。
今の大型書店とは違う、昔ながらの駅前本屋でした。
漫画、雑誌、ゲーム攻略本、参考書…。
いろんな本が並んでいました。
ただ、この本屋にはひとつ特徴がありました。
立ち読みすると、かなり怒られるのです。
今なら少し驚かれるかもしれません。
でも、当時はそれが普通でした。
むしろ「本屋のおじさんやおばさんに怒られる」というのも、昭和の日常風景の一部だったような気がします。
今思えば、ああいう少し不器用で人間臭い空気も、駅前文化の一部だったのでしょう。
ブックスいずみで買った受験の過去問
そして、中学3年生の頃。
私はこのブックスいずみで、高校受験の過去問を買った記憶があります。
当時、少し受験校を迷っていました。
・清風南海高校にするか
・清風高校(理数科)にするか
泉北ニュータウン周辺は、当時から教育熱心な家庭も多く、受験の空気が強い地域でした。
駅前には塾も多く、夕方になると学生たちが大量に行き交っていました。
私は過去問だけを買い、受験のことを考えていました。
最終的に私は三国丘高校に進学したので、結果的にはどちらでもよかったのですが、当時は当然ながら、
「将来どう生きるか」
までは全く見えていませんでした。
揺れていたのは、橋だけではなかった
今思えば、あの頃の私は、
橋だけではなく、進路そのものも揺れていたのだと思います。
そして、それは大人になった今でも、少し似ている気がします。
あれから何十年も経ちました。
今、泉ヶ丘駅前では大規模開発が進んでいます。
トリオトはコノミヤへ変わり、パンジョ側の風景も少しずつ更新され続けています。
でも、変わったのは街だけではありません。
私自身もまた、会社員時代から大きく変わりました。
コンサルとして独立し、不動産を持ち、法人を作り、うつ病とも付き合いながら、
「週3日ワーク」
という働き方へ少しずつ形を変えてきました。
もちろん、今でも揺れています。
仕事・健康・将来・家族・収入…。
完全に安定しているわけではありません。
でも、最近は、
「少し揺れながら生きる」
くらいが、人間にはちょうどいいのかもしれない、とも感じています。
少し揺れながら、更新され続ける
今思えば、泉ヶ丘駅の橋も、完全に固定された構造ではありませんでした。
少し揺れる。少し逃がす。少し余白を持たせる。
だからこそ、長い年月を経ても、あの巨大な構造物は機能し続けているのかもしれません。
それは、人間も少し似ている気がします。
ガチガチに固定しすぎると、どこかで壊れてしまう。
だから私は今も、少し揺れながら生きています。
そして、再開発が進む泉ヶ丘駅前を見るたび、街だけではなく、自分自身もまた、長い時間をかけて少しずつ更新され続けているのだと感じるのです。
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