泉北2号線は、私にとって「少年時代のロードサイド」だった

はじめに
大阪府堺市。
泉北ニュータウン出身の現在53歳の私は、子どもの頃から、泉北2号線沿いをよく自転車で走っていました。
今思えば、御池台から津久野あたりまで、かなり広い範囲を移動していたと思います。
当時の私にとって、泉北2号線は単なる幹線道路ではありませんでした。
そこには、
・電気屋
・ファミコン
・パソコン
・ロードサイド店
・工事現場
・少し怪しい自販機
など、少年時代の「気になるもの」が全部集まっていたのです。
今回は、そんな泉北2号線沿いの断片的な記憶を少したどってみたいと思います。
電気屋が「未来」だった時代
現在、パソコンやスマホと言えば、
・ヤマダ電機
・ビッグカメラ
・ヨドバシカメラ
などを思い浮かべる方が多いと思います。
ただ、私の子ども時代は少し違いました。
泉北ニュータウン周辺では、
・中川ムセン
・タニムラデンキ
・和光デンキ
・マツヤデンキ
などが強い存在感を持っていました。
特に、中川ムセンは、栂・美木多と泉ヶ丘の間、豊田交差点付近にあった記憶があります。
泉北コミュニティという地域新聞のお店の横あたりだったでしょうか。
ただ、不思議なことに、タニムラデンキや和光デンキは、
「確かに存在していた」
という感覚は強いのに、正確な場所を思い出せません。
おそらく泉北2号線沿いだったと思うのですが、ロードサイドの風景の中に溶け込んでいたのでしょう。
それでも、空気感だけは妙にはっきり残っています。
タニムラデンキとファミコンの記憶
当時の私は、ファミコンやディスクシステム、PCエンジンが大好きでした。
さらに、PC88やPC98、BASICなどにも興味を持っていました。
今振り返ると、現在ITコンサルタントをしている原点は、この頃の「電気好き」「パソコン好き」にあったのかもしれません。
そんな中でも、特に印象に残っているのが、タニムラデンキです。
理由はシンプルで、
「ファミコンカセットが安かった」
からです。
子どもにとって、
・どこの店が安いのか
・どこの店がゲームに強いのか
は、とても重要な情報でした。
当時はネットもありません。
だからこそ「店そのもの」が情報源であり、夢の空間だったのです。
今思えば、泉北2号線は、私にとって「ゲームと未来を探しに行く道」だったのかもしれません。
工事現場の奥にあった「秘密の場所」
ただ、泉北2号線の記憶は、電気屋だけではありません。
当時の2号線沿いには、工事現場や資材置き場のような場所がたくさんありました。
その迷路のような空間の奥に、なぜかアダルト本の自販機が隠されていたのです。
今の若い世代には、少し想像しにくいかもしれません。
当時は、コンビニも今ほど便利ではなく、スマホもネットもありません。
だからこそ「誰にも会わずに買える自販機」は、思春期の男子にとって独特な存在感がありました。
しかも、その場所へ行く感覚は、少しドラクエのダンジョンにも似ていました。
工事現場の奥へ進み、誰にも見つからないように自販機へ向かう。
まるで、隠された宝箱を探しに行くような感覚だったのです。
もちろん、本人は「誰にもバレていない」と思っていました。
実際には、みんな知っている有名スポットだったのでしょうが。
教科書の間に隠した「あの日」
タニムラデンキへファミコンカセットを買いに行き、その帰りに、こっそりアダルト本自販機へ立ち寄る。
そんな日もありました。
買った本は、団地の自宅へ持ち帰り、教科書の間へ隠していました。
たしか、分からないように、数学と国語の間に紛れ込ませた記憶があります。
今思えば、かなりわかりやすい隠し場所です。
そして、ある日。
いつの間にか、本の位置が変わっていました。
数学と国語の間に隠していたはずなのに、なぜか「国語と社会」の間へ移動していたのです。
その瞬間、
「あ、バレてる…」
と思いました。
母親は何も言いません。
ただ、静かに位置だけを変えていた。
あれは、「見つかっているぞ」という無言のメッセージだったのかもしれません…。
泉北2号線は「少年時代のロードサイド」だった
今の泉北2号線は、かなり整備され、風景も大きく変わっています。
昔あった電気屋も、ほとんど姿を消しました。
あのアダルト本自販機も、当然ながら、もう存在していないでしょう。
ただ、私の記憶の中では、泉北2号線は今でも特別な道です。
ゲームも、パソコンも、少し危ない秘密基地も、全部そこにありました。
マンモスという書店・CDレンタル店もありました。
そして今振り返ると、あの道は単なる幹線道路ではなく、
「少年時代そのものが並んでいたロードサイド」
だったのかもしれません。





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