「深いけど、記憶の中では浅い街」深井駅の断片的な記憶

はじめに
大阪府堺市の「深井」。
名前だけは昔からよく知っていました。
現在53歳の私は、泉北ニュータウン出身なので、泉北高速鉄道の駅として、何度も通過してきた街です。
ただ、不思議なことに、
「深井で何をしたか?」
を思い出そうとしても、断片的な記憶しか出てこないのです。
中百舌鳥ほど栄えていたわけでもなく、泉北ニュータウンの中心という感じでもない。
それなのに、なぜか記憶にだけは残っている…。
今回は、そんな「深井」という街について、私の中に残っている断片的な記憶を少したどってみたいと思います。
深井駅は、なぜか少し怖かった
子どもの頃の私は、深井駅に少し独特な印象を持っていました。
駅が高い場所にあり、少し傾いているようにも見えたからです。
「泉北高速鉄道」という名前も、子ども心にはかなりインパクトがありました。
「高速」と言うくらいだから、本当にものすごいスピードで走るのではないか。
そんなふうに思っていました。
今では「泉北ライナー」という特急も走っていますが、当時の私は、
「もし深井駅を特急が高速通過したら、ジェットコースターみたいになるのではないか」
と本気で思っていました。
実際、泉北高速鉄道は本当に速い路線でした。
高架を一気に駆け抜け、地下鉄へ直通して都心へ吸い込まれていく感覚は、子どもの頃にはどこか「未来の電車」のようにも感じていました。
「深井」の「深い井戸」はどこにあるのか
今でも少し不思議なのが、「深井」という地名です。
おそらく、昔の深い井戸や水場が由来なのだと思います。
ただ、私は今でも、
「その井戸はどこにあるのか」
を知りません。
何度も名前を聞き、何度も電車で通ってきた街なのに、実はよく知らない。
この感覚が、どこか深井らしい気もします。
深いという名前なのに、私の記憶の中では、どこか「浅い」。
それでも、完全には忘れられない。
そんな不思議な距離感のある街でした。
長崎屋(アンディ泉北)の記憶
深井の記憶として、特に残っているのが、長崎屋(アンディ泉北)です。
開店当時、母親と一緒に歩いて行った記憶があります。
ただ、子どもだった私の感覚では、
「むちゃくちゃ遠かった」
のです。
今、地図で見るとそこまででもないのかもしれません。
ただ、当時は、郊外の大型店へ歩いて向かうこと自体が、ちょっとしたイベントでした。
あの頃の長崎屋には、「新しい時代の店」ができたような、少し特別な空気がありました。
郊外に大型店ができること自体が、まだニュースになっていた時代です。
原池の「暗さ」の記憶
深井周辺で、もうひとつ印象に残っている場所があります。
原池です。
今では原池公園として整備され、スポーツ施設や公園のある、かなり明るい空間になっているようです。
ただ、私の子どもの頃の記憶では、少し違いました。
もっと暗く、少し湿った空気のある場所だった印象があります。
そして、なぜか「おじさんが池に向かってゴルフの打ちっぱなしをしている場所」というイメージが強く残っています。
子どもの頃の私は、その空気に少し独特な「大人の郊外感」を感じていました。
今振り返ると、あれは昭和〜平成初期の郊外文化そのものだったのかもしれません。
時代が変わり、街が明るく整備され、ファミリー向けの公園へと変化していく。
原池の変化を見ていると、大阪郊外そのものの変化を見ているような気もします。
深いけど、記憶の中では浅い街
梅田や難波のように、濃密な思い出があるわけではありません。
ただ、深井という街は、なぜか記憶から完全には消えません。
通り過ぎた回数が多かったからなのか。
泉北ニュータウンと堺市街地の境界のような場所だったからなのか。
理由はよくわかりません。
ただ、今振り返ると、
「深いけど、記憶の中では浅い街」
それが、私にとっての深井なのかもしれません。
そして、そんな「断片的な記憶」こそが、実は郊外の街のリアルなのかもしれない…
最近は、そんなことを思うようになりました。





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