年収1000万円は、いつから幻想になったのか〜50代の忘年会で見えた現実〜

年収1000万円は、いつから幻想になったのか?
現在、私は、52歳。
いまだだに、小学校時代の友人たちと年に1回、忘年会に参加しています。
この年齢になると、古くからの友人たちをとても貴重な存在に感じるようになってきました。
昭和時代の思い出、就職氷河期、価値観、学校の変化、もしも、昭和時代にSNSがあったら…等。
同じ時代の空気を吸って生きてきただけに、共有できるものが多く、とても心地よいのです。
昨年の忘年会では、お酒も進み、いつしか「年収」の話題に移っていました。
年収1000万円。
幸か不幸か、私は外資系のコンサルティング会社で体を壊しながら働いていたため、30歳(社会人5年目)で達成しました。(これはかなり早いほうでしたが、その後、紆余曲折が待ち受けていることは、当時、知る由もありませんでした。)
一般的な見方としては、20代、30代の頃、年収1000万円というのは、どこか別世界の数字だったような気がします。
「お金持ちの称号」「そこに辿り着いたら人生は安泰」
そんな響きがありました。
ところが、50歳を超えた今、その場にいたメンバーの中には、そのラインをすでに超えている人が何人もいました。
ただし、彼らの表情は、昔イメージしていた
「余裕のある成功者」
とは全く異なるものだったのです。
年収1000万円でも、手元には残らない
話を聞いていて、ある共通点が浮かび上がってきました。
「年収は高くなったけど、自由に使えるお金はほとんどない」
という現実です。
理由はシンプルで、
・所得税・住民税
・社会保険料
・子どもの学費・教育関連費用
・医療費
・親の介護費
・将来不安への備え
・昨今の物価上昇(消費税)
これらが重くのしかかってきているためです。
いわゆる「五公五民」です。
五公五民とは、収入のうち、税金と社会保険料でおよそ半分が持っていかれる状態を指す表現です。
この表現が、年収1000万円クラスになると、実は、大げさな話ではないのです。
仮に年収1000万円でも、税金・社会保険料で300万〜400万円程度、そこから生活費、住宅ローン、教育費が出ていきます。
その結果、
「可処分所得として自由に使えるお金は、ほとんど残っていない」
という状況になってしまうのです。
「1000万円プレイヤー」は、実は少数派
ちなみに、年収1000万円を超える人は、日本全体で見ると決して多数派ではありません。
割合で言えば、給与所得者全体の中では一桁台に収まる水準です。
ただ、50代前後になると、
・管理職
・専門職
・大企業勤続組
などに限れば、周囲に「達成者」が増えてくるのも事実です。
つまり、若い頃に憧れていた「特別な数字」が、年齢とともに現実の射程に入ってきます。
しかし同時に、その数字が「幸福」や「余裕」と直結しないことも、身をもって理解する年代でもあるのです。
私自身の記憶と、今の立ち位置
私自身、コンサルティング会社に勤めていた頃、年収1000万円を超えていましたが、
「お金に余裕がある実感」
は全くありませんでした。
給与明細を見るたびに、
「こんなに引かれるのか」
と、どこか素直に喜べなかった記憶があります。
その後、私はフリーランスになり、ひとり法人経営者となりました。
個人の年収という数字は、もはや役員報酬の設定値にすぎません。
このため、私自身、現在の年収は、ここでは言えないくらい安いものです。
ただ、時間の使い方や、収入のコントロール感覚は、当時よりもずっと自由になりました。
もちろん、フリーランスには不安定さもあります。
それでも「数字のために働く」感覚からは、少し距離を置いており、充実感・達成感も現在のほうが優っています。
年収1000万円は「ゴール」ではない
今回の忘年会で強く感じたのは、
年収1000万円は、目標としては分かりやすいが、ゴールではない
ということです。
若い頃は、
「その数字に到達すれば、何かが変わる」
と思いがちです。
だが実際には、
・税金や社会保険の仕組み
・家族構成やライフステージ
・働き方の自由度
このようなお金以外の要素のほうが、生活の満足度を大きく左右することが分かってきます。
年収1000万円は、もはや「あがり」ではありません。
むしろ
「そこから何を選ぶのか」
を問われるスタート地点なのではないかとも思っています。
憧れだったはずの数字が、いつの間にか幻想に見えてしまう…。
そんな感覚を、先日の忘年会は静かに教えてくれました。















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