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南海電車が走っていない天王寺駅に「南海そば」がある謎…消えた南海天王寺線の歴史とは?

2019年9月14日大阪中部

天王寺駅。

JR・近鉄・大阪メトロが乗り入れる、大阪でも屈指の巨大ターミナル駅です。

私自身、昔から天王寺の街にはよく行っており、年齢を重ねた今でも、変わりゆく天王寺の風景には驚かされるばかりです。

かつては「おじさんの街」、天王寺動物園のイメージでした。

ところが、現在は「あべのハルカス」を中心として、若者が集まる華やかな街へと変貌しました。

そんな天王寺駅の片隅に、ひっそりと営業しているお店があります。

南海電車が通っていないのに、なぜか存在する「南海そば」

今回は、この素朴な疑問からスタートし、天王寺にかつて存在していた「消えた南海線」の歴史をたどってみたいと思います。

天王寺駅に「南海」の痕跡が残っている理由

南海そばの存在が示す「かつての路線」とは?

天王寺駅には、南海電車は乗り入れしていません。

にもかかわらず、なぜ「南海そば」があるのでしょうか。

実は、天王寺駅にはかつて「南海天王寺線」が存在していました。

・天王寺〜天下茶屋
・わずか2.4キロメートル
・1両編成のローカル線

今、駅構内に残る「南海そば」は、天王寺に南海が乗り入れていた時代の名残でもあるのです。

南海天王寺線の歴史

MIOの下に残る「謎の空間」の正体

新今宮駅からJRで天王寺駅へ向かうと、天王寺駅に着く寸前、MIOの地下あたりに、妙な空洞があるのが見えます。

・駅跡のような暗闇
・かつての線路跡らしきスペース
・2000年代までは地上にも線路跡が確認できた

これらの「謎の空間」こそ、南海天王寺線の痕跡なのです。

そもそも南海はなぜ天王寺へ?

南海電鉄は、難波が本拠地でしたが、国鉄(現JR)との接続強化を狙い、天王寺に路線を持っていました。

しかし、歴史の流れは大きく変わります。

新今宮駅開業が南海天王寺線の運命を変えた

1966年、新今宮駅が開業。

南海本線・高野線の全列車が新今宮に停車するようになりました。

すると、天王寺線の利用者が激減…。

天王寺駅は「南海線の乗り換え駅」としての役割を失いました。

天王寺線は「取り残された路線」へと転落していきます。

徐々に切り離されていく天王寺線

・1984年:今池町〜天下茶屋が廃止
・天王寺〜今池町の1駅だけが残る
・南海天王寺駅も今池町寄りに移動
・本線から完全に切り離され「支線」扱いに

もはや路線としての一体感は失われていました。

堺筋線延伸がとどめに

1993年、地下鉄堺筋線が

「動物園前〜天下茶屋」

まで延伸することになりました。

天王寺〜天下茶屋を結んでいた南海天王寺線は、地下鉄の開業で乗客をさらに奪われ、存在意義を完全に失うことになります。

そして…

1993年3月31日

南海天王寺線は、堺筋線延伸から1ヶ月足らずで廃止されることになったのです。

現在の南海天王寺線跡

MIOの「あの空間」は本当に駅跡なのか?

・線路跡はフェンスに囲まれた空き地に
・地上部分は再開発されアスファルト化
・MIO西側のくらい空間にわずかな痕跡が残る

しかし、一般人が近くで確認することはできません。

「あれは駅跡なのか?」「残された空洞はどうなっているのか?」

このあたりの謎は、今も天王寺の小さな歴史ロマンとして残っています。

もし南海天王寺線が生き残っていたら…?

地下鉄堺筋線の延伸がなかったら、天王寺の街を薄緑色の南海電車が走り続けていたのでしょうか?

そして、南海電鉄の「大阪梅田への進出」は実現していたのでしょうか?

失われた路線の跡を歩くと、そんな「もしも」をつい想像してしまいます。

まとめ

南海天王寺線は、

・都市開発
・乗り換え動線
・鉄道会社間の競争

といった歴史の中で姿を消した短いローカル線でした。

しかし、天王寺駅の片隅で今も営業する「南海そば」や、MIOの下に残る「暗闇の空間」は静かにその名残を伝えています。

天王寺を訪れる際は、ぜひこの「消えた南海線」の歴史にも思いを馳せてみてください。

【関連記事】大阪に眠る「鉄道の裏歴史」はこちら:

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Posted by かずきび47